2019.12.7(土)

第7回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

東京でつくってきた人のお話を聞く

1/7

前回につづき、ゲストの方にお越しいただいた12月スタディ。この日は熊倉敬聡さんと長島確さんをゲストにお招きし、前半はお二人のお話を伺うところからはじめた。

まちを転々としながら40年ほど東京に住みつづけ、いまは京都に在住されている熊倉さん。京都と比べ東京は関東大震災と東京大空襲でむかしのものがほとんど焼け、都市としての記憶がほとんど消されているが、やり方によってはいろんな想像力を膨らませる素材はあると話された。また、東京では行動の動線が勝手に決められていて、その動線のなかで歩いたり休んだりお茶を飲んだり――いわば行為の外にある理由や目的のために行為させられているようにみえるとも語った。そんななか熊倉さんは突然時間が空いたりすると、明治神宮の裏に行かれるという。その空間を「東京のなかの野生みたいな場所」、「ぽかっと空いた巨大な空き地のような場所」だと語る熊倉さん。目に見えない動線や規律の網の目からいかに逸れるかを考えることもまた、“東京”を捉える重要な視点だ。また「規律」という話から、慶応義塾大学のある三田のまちなかで7年ほど運営していた「三田の家」を紹介。社会に存在する空間は必ず社会的機能が決まっている(カフェなら客/店員という役割、等)が、そうではなく社会的機能が存在しない、一種の空き地のような無目的な場所を経営したいという思いからはじまった。そうした隙間みたいなものをつくることで、そこに吸い寄せられて来たひとたちがいろんな種を蒔く。そんな循環ができていたという。惜しくも2013年10月に閉家したが、なにかを耕すための土壌のような場所だったのだろう。

 フェスティバル/トーキョー(以下「F/T」)のディレクターであり、東京アートポイント計画にも「アトレウス家」「つくりかた研究所」で参加されていた長島さんは、東京生まれ東京育ちでずっと東京に住んでいるが、「東京に居場所がない」という感覚がデフォルトだという。そして、東京はもはや都市ではなくひとつの国家=“メタ日本”みたいなもので、東京がひとつの独立国家として分離独立すれば東京もそれ以外の日本も立ち位置がはっきりするのではないか、日本の一都市として考えるのはもう無理なのではないかと話された。また、「歩く」という行為は東京においてパーソナルスペースを確保する一番確実な方法だとも語る。いつも歩きつづけるわけにはいかないので、線路沿いを一度歩いておき、かつて歩いた動線を電車の窓から眺めつつ、そこを自分自身のゴースト(分身)に歩かせて精神的に電車のなかから脱出するという、ユニークな対処法も話してくださった。2018年からディレクターを務められているF/Tでは、たとえどんなちいさなこと、どんな種類のことでもいいから、フェスティバルにかかわるあらゆる立場のひと(アーティスト、運営スタッフ、観客、行政、等)が、かかわることでなにか「できなかったことができるようになる」ようなプログラムや場をどうやったらつくることができるか。そういう機会を機能させる場として、東京のフェスティバルを考えることが重要だと話された。「いろんな立場のひとがいればなにかが起こる可能性はある」という長島さんのことばは、アートプロジェクトを考える上で非常に大事な視点だろうと思う。

 石神からの「東京の状況に対する危機感はどんなものか?」という問いかけに対しては、長島さんは「巨大すぎ、かつ老いて孤立している」ことだと回答。日本以外の都市とも比較・相対化して、“東京”がどういう場所なのか捉えていく必要があるのではと話す。前回のゲストであり、この日のスタディにも参加されていた韓さんは、ご自身の生まれ故郷でもある新宿は東京のなかでは野生や人間の生態系が残っていて、流れてきたものを受け入れる場として機能しているのではないかと話しつつ、でも再開発で根こそぎやられるとその生態系はなくなってしまうという危機感も抱く。みんなが漠然とイメージするフィクショナルな“東京”と、そういった生態系とを接続させるためには、「歩く」といった行為を通してまちを二重化する/東京を身体化するのが重要ではないかと、熊倉さんは語られた。

 後半からはスタディメンバーのエッセイを読みつつ、ゲストのお二人からコメントをいただいた。初稿を経て書かれたエッセイはどれも解像度が上がっていて、少しずつ自分自身の問題意識や「東京」という問いに対する「核」を摑みつつあるようだった。フィードバックの場でもやはり「歩く」「東京を身体化する」ということがポイントになっており、まち(におけるアートプロジェクト)を考える際に欠かせない要素なのだろう。いよいよ次回でスタディは最後となり、エッセイも完成となる。

関連資料