2019.11.13 (水)

第6回

折り返し地点で、半年を振り返る

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記録係の堀切梨奈子です。スタディ2、第6回目は11月13日(水)19:00から、ROOM302で行われました。

今年のスタディも折り返し地点。今後は来年3月に向けて“何か”をつくっていく予定です。今回は半年間のスタディの振り返りも兼ね、それぞれがパッと思い浮かべたテーマを書いた紙を、くじ引きのように選びながら、答えを導こうとするわけでもなく、みんなで話しました。

例えば最初は『気候変動-災害』というテーマをきっかけに、めぐりめぐって、振付家や演出家が不在でのパフォーマンスのつくり方について。『彫刻のからだ』というテーマからは、モノとしての作品と同等に展示されていたティノ・セーガルのパフォーマンスについて話したり、『時間』では「美術館でのパフォーマンスは平均化されている」ことを思い返し、「演劇で、美術の展示のようにモノを扱う事例があるか」「長回し映画のような演劇はあるか」などを考えた末に演劇における暗転について考え、『ライブ性』では「物理的距離にライブ性は関係するだろうか」と、各々が自身の鑑賞経験を振り返ったりしました。

ひとつのテーマを掘り下げるだけでなく、その周縁の出来事や、その場で浮かんできたことをおしゃべりのように話しながら、ときにはテーマとまったく違うことを考えることで、明確な答えはないけれど、それぞれが気になっていることを共有していくような、不思議な時間になりました。

酒井が引いた『公』と稲継が引いた『ストリートアート』というテーマからは、毛利さんのレクチャーの振り返りや、江戸時代に路上で行き倒れてしまった人の弔いを誰がするのかに関する話、落ち葉掃除や工事について話がめぐりました。鈴木から「北海道では、道路工事をはじめとする税金の使い方にライブ性があった。東京では税金の使い方が複雑だし、それが自分のために行われていると思えるようなライブ性があまりない」「東京の工事は常態化していて、始まりと終わりが感じられない。上演時間が長すぎる」という意見が出たことをきっかけに、“東京の工事をパフォーマンスとして見る”というアイデアが浮かんできました。東京の工事をパフォーマンスとして見ると、上演時間がとても長いので、平均化されたパフォーマンスのようにも感じられるし、工事の安全を守る警備さんは美術館の展示監視員のようにも見えます。「読み方がわからないだけで、実はキャプションがあるかもしれない」「キャストは何日で変わっているのだろう」「演出家や舞台監督はいるのか」といった疑問が次々と出てきます。昨年度は東京の公共彫刻をリサーチしたスタディ2が、東京の公共工事を彫刻的パフォーマンスとして見立てたとき、そこには何が浮かび上がってくるのでしょうか。

くじ引きによって選ばれたテーマはさまざまでしたが、半年間のスタディを通して、東京、彫刻、パフォーマンス、公共、といったテーマをみんなで考えてきたことを感じる2時間でした。今回話したことは、今後つくられる“何か”に、どのようにつながっていくのでしょうか。

Text=堀切梨奈子