東京プロジェクト
スタディとは?

Tokyo Art Research Lab「思考と技術と対話の学校」で展開する、
アートプロジェクトの核をつくるための実践です。

“東京で何かを「つくる」としたら”という投げかけのもと、
「ナビゲーター」と、公募で集まった「メンバー」がチームとなり、
スタディ(勉強、調査、研究、試作)を重ねます。

ナビゲーターは、関心や属性の異なる「つくり手」が担当。
表現方法、向き合うテーマ、「つくる」過程もさまざまです。
それぞれのスタディには、アーツカウンシル東京のプログラムオフィサーが伴走し、
学びのサポートをしていきます。

このウェブサイトは、それぞれのスタディがどのように
「何かをつくる手前の時間」を過ごしたのかを記録するものです。
何を、誰と、どのように向き合ったのか。
スタディの活動と、同時期に並走するナビゲーターたちの創作活動に目を向けます。

そのプロセスや、そこで生まれたことばや手法を蓄積する素材庫は、
いつかの誰かの「つくる」ヒントになるかもしれません。

わからなさ、複雑さ、そしてときに遠回りすることを大事にしながら
予定調和に陥らない「つくる時間」に身を置く実験を、
ぜひ追体験してみてください。


Tokyo Art Research Lab (TARL)

アートプロジェクトを実践する人々にひらかれ、共につくりあげる学びのプログラムです。
人材の育成、現場の課題に応じたスキルの開発、資料の提供やアーカイブなどを通じ、
社会におけるアートプロジェクトの可能性を広げることを目指しています。
https://tarl.jp

「東京プロジェクトスタディ」ウェブチーム

ウェブディレクション:萩原俊矢
ウェブサイトデザイン:井山桂一(GRANDBASE inc.)
プログラミング:萩原俊矢、多田ひと美(GRANDBASE inc.)

編集方針設計:川村庸子、高橋創一
全体設計:坂本有理(アーツカウンシル東京)
制作補助:岡野恵未子(アーツカウンシル東京)

ベースデザイン:加藤亮介

2021

わたしの、あなたの、
関わりをほぐす

〜共在・共創する新たな身体と思考を拓く〜

オンライン/オフラインでのコミュニケーションが私たちの新しい日常として定着しつつある現在、
様々な背景を持つ他者同士がコミュニケーションをはかり、
新たな経験や関わりを生み出そうとするアートプロジェクトの在り方も変容・更新が続いています。
画面越しの会話のリズムや間合いのズレ、場づくりの難しさ、何を共に経験したのかという実感への問い、
そして言語体系や認識世界の異なる人々との情報保障の在り方やアートプロジェクトのアクセシビリティなど。
これまで培ってきた手法だけでは更新できない新たな課題や気づきを体感し、
改めて、他者との関係性やコミュニケーションについて考えを巡らせている人も少なくないはずです。

社会的、文化的、身体的にも異なる他者が出会い、お互いの差異を認め、
それぞれ固有の感覚を大切にしながらもお互いに歩み寄ろうとするひたむきな姿勢と技術が、今こそ求められているのではないか。
その課題意識から、昨年は、異なる他者の間に立ってコミュニケーションを育む通訳・翻訳者の身体知に着目し、
視覚身体言語(手話)と音声書記言語(日本語)のコミュニケーションに関する研究・開発に取り組みました。
私たちは日々、“自分”の意志を相手に伝えるだけではなく、ときには誰かの想いを翻訳し代弁者となることもあります。
そう考えると、誰もが誰かの翻訳者であるともいえるでしょう。
しかし、そうした意思伝達、翻訳、解釈の狭間には、常に誤解や誤読が介在し「わかりあえなさ」が存在します。
どうすれば自分が感じたままをそのままに伝えることができるのか。
また反対に相手の想いをどうすればそのままに受け取ることができるのか。
「わかりあえなさ」を受け入れながらも、伝えあいの間に立ち現れるこの「伝わらないことへのもどかしさ」に、
新たなコミュニケーションの回路を拓くヒントが詰まっていると思うのです。

本スタディでは、誰もが誰かの翻訳者であることを前提としながら、
自分と異なる認識世界を持つ他者と共在・共創するコミュニケーションについて再考します。
身体性や感覚が異なる者同士が意思を伝えあおうとして生まれた視覚身体言語(手話)、感覚をつなぐ伝達方法としての触手話、
点字や手書き文字、音声ガイドなどの多様なコミュニケーションを起点に、
一人ひとりの身体と記憶、ことばと感覚にまつわるディスカッションやワークショップ、リサーチを重ねます。
その経験を通して、参加者自身が自分の感覚を掴みながら、
異なる感覚を持つ他者とのコミュニケーションを促進・拡張させる新たなメディアや手法を発明することに取り組みます。

※新たなメディアや手法について
美術、映画、音楽、演劇、建築、空間、詩、料理、付箋、チャット、粘土、石、遊び、専門的な通訳者、
タイムテーブル、マネジメント技術や仕組みづくりなど、メディアの表現形態・専門は問いません。

ナビゲーター

和田夏実インタープリター

岡村成美Designer/Director/Costume Designer/Artist

メンバー
  • 大塚拓海学生
  • 水野渚大学院生
  • 二瓶雄太ヒト
  • 波多野彩姫さそりざ
  • 田中有加莉現代美術、グラフィックデザイン
  • 山田裕子俳優、歩く人
  • 大迫健司踊る人、探す人、俳優
  • 伊藤悠希まだない。
  • 柳原実和大学生
  • 境佑梨ダンサー、アーティスト
運営

木村和博劇作家・編集者・ライター

記録

阿部健一ドラマトゥルク、uni 代表・演出、大学院生(園芸学)

齋藤優衣パフォーマー、uni デザイナー

スタディマネージャー

嘉原妙アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー

7.21(水)

第0回

ナビゲーターからのメッセージ

1/2

スタディ1「わたしの、あなたの、関わりをほぐす ~共在・共創する新たな身体と思考を拓く~」では、ナビゲーターを和田夏実さん(インタープリター)と岡村成美さん(Designer/Director/Costume Designer/Artist)、スタディマネージャーを嘉原妙(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)が務めます。このスタディは、身体性や感覚が異なる者同士のコミュニケーションの再考をテーマに、自分自身と他者をつなぐ「新たな方法」を探ろう、発明してみようという試みです。ワークショップやリサーチ、ディスカッションを重ねながら、異なる認識世界をもった他者と意思を伝え合うメディアや手法の発明に取り組みます。活動をスタートしていくにあたって、それぞれからのメッセージを掲載。ぜひご覧ください。

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2021.8

8.18(水)

第1回

場所:Zoom

声と文字で/に出会う

1/1

第1回のスタディはオンライン会議アプリZoomで実施。カメラをOFF、Googleドキュメントの音声入力をONにして行われた自己紹介で、メンバー、ナビゲーターチームは声と文字で出会うことに。終了後に立ち上げられたスタディ1のSlackにはその日のうちに次々「研究日誌」が投稿され、まだ顔を知らないお互いの質感に触れることとなった。

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それぞれの声や、その後ろから聞こえてくる音を楽しめた。
それぞれにいるんだなぁ、とぼんやり思う。

声ではないけど、温かいものがほわんほわんとまだ部屋に残っている気がする。部屋に残ってるのかな?からだに残っているのかな? 体も冷めたり温まったりする。

このまま「顔」のない関係が続けばいいのに、とか思ってしまっている。「顔」はないけど、表情はある、みたいな状況って作れないのかな。

野菜と果物に例えたらなんですか?
こんどあのひとにもきいてみよ

8.22(日)

第2回-1

場所:STUDIO GEM GARAGE

無意識の身体を意識する

1/7

声と文字で出会った4日後、パフォーマー・アーティストで昨年度のスタディ1でナビゲーターを務めた南雲麻衣さんを招いたワークショップが対面で実施された。「無意識の身体と手話する思考の身体のあいだで翻訳を考えてみる」というテーマのもと、からだで名前を書く、目をつむって音に向かう羊になる、ドッヂボールをボールなしで再現するというワークにトライ。さまざまな角度から「無意識の身体」を考えていった。

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視覚イメージ(顔、髪型、大きさ、体型、筋肉のつき方、雰囲気)と、名前と、初回の印象を結びつける。
書き換えのない人、上書き、修正した人。

助けたい!っておもったけど私だって助けられたい!って思った

歴史が捏造されていくドッジボール。捏造の捏。頭を働かせて、真剣に「こうだった、こうだった」とみんなが納得しようとしているのが面白かった。

こんなにも困惑って身体に出るんだなと思う。

8.29(日)

第2回-2

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

視覚身体言語の世界へ

1/17

「身体視覚言語の世界へ ようこそ」。第2回-1の1週間後、南雲麻衣さんによる2回目のゲストワークショップを実施。部屋の入り口で「声」の鍵を預け、身ぶりや手ぶり、表情でさまざまな「なまえのないモノ」の翻訳を試みた。

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一番大きな音は、「自分の脳内の声」だった。
自分の頭のなかで自分と会話していたんだ。
はっきりとした「声」で。

よく視ることは、よく聴くことに似ているなと、思う。

イメージの共有ってむずい。でも共通言語できたとき、めっちゃ嬉しい。

伝えたいではなく、お互いに知り合うことを味わいたいと思える環境だからこそ、わからないに正直でいられる気がしなくもない

まだ始まったばかりだけど
電車で書いていたメモがどんどん溢れてきた
ワクワクしてる、この勢いで服つくりたい、絵描きたい

2021.9

9.12(日)

第3回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

「恋」を翻訳する/触れる/伝え合う

1/5

ことばの研究者で全盲の藤本昌宏さんをゲストに招いた第3回のワークショップのテーマは「恋」。アイマスクをつけて視覚を遮断した状態で、植物の「触察(しょくさつ)」を体験した後、それぞれの「恋」をかたちに翻訳するワークにトライ。ことばや音、感触を通したコミュニケーションを味わう時間を過ごした。

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話がぶつかった時、どうぞ、って言えずに話してしまった。
すごく暑かった。
どこまで自分を開示していいんだろう?どこまで聞いていいんだろう?

ものを触ると、透明な、すごくすごく透明なフレームみたいなものに触れている感じがする。質感だけ、鉛筆だけで書いたデッサンのような世界。でも黒くなく、陰影もない。光がないけれどもすごくクリアーな世界で。見えないと言うよりも、別の見方で見ている。

最初に渡された花。かすかに、ほのかな香りがした。そういえば、恋を表すものとして、香水を持っていったのも、無意識のうちに、自分にとって「匂い」が大事な部分を占めているのかも。

周りの恋がある中で、自分の持ってきたもの、自分が作ったものを、時々確認したくなった。今の私にとって、たしかにそこにあったということを確認したくなる、大切で少し夢のような恋だったみたい。

みなさんがぽろぽろと私の作ったものに対してクエスチョンをくれた
人に読みといてもらえるものだと思わなかった

物体であるということだけ、
布の包むという要素だけ、
紐の結ぶという要素だけを引用した。

枝やものが連なっていくときの重さも、どれもこれも最近のもやもやや気持ちを言葉にしちゃわずにでも形に残してちゃんとこうだったの、っていえるの嬉しいなと思ったし、こうなの?ってきけるのも嬉しい。

みんなを誘導する側に回った時、和田と私の違いがよくわかるって阿部さんと木村さんに帰り道言われた。

触り終わったあと、忘れないように手で輪郭をなぞる。

恋の月は、まだまだ続く。今日手にしたあの恋たちの感触を思い返しながら、もうしばらくの間、恋について考えてみる。

9.22(水)

第3回の続き

場所:Zoom

秋の夜長に「恋の定義」を考える

1/4

引き続き藤本昌宏さんをゲストに招き、「恋」をめぐる意見交換会をオンラインで実施。「恋」を取り上げるに至った藤本さんのエピソードを聞いた上で、グループにわかれて「恋の定義」を話し合う。終了後の9月末には、藤本さんから出された「恋の計画書」という課題に応えたさまざまな「これからの恋のアクション」が投稿された。

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恋モードを入れる入れない、入る入らない。自発的なもの?受動的なもの?その、あいだ。「スイッチを入れる入れない」という感覚より、「ドアまたは窓を開ける閉める」「本を開く閉じる」など、別の表現のほうがしっくりくる人もいる。

それが、恋、なのかどうかは、私にとっては重要ではないらしい。
恋、なのかもしれないし
恋、ではないのかもしれない
ただ
惚れる、が訪れるのは素敵な感じがするし
何度でも、惚れなおしたい
一夜明けたら、そんな気持ちが芽吹いていました

恋は海に似てると言ったけれど、海に普段から入ってると尚思う。飽き性な私がなぜ海は飽きないのか、恋に似ているから?

こんな壮大な、あいまいな話ができるなんて。親友でもない、友達でもない、面白くて貴重な時間だな。

いつもどこか片想い

2021.10

10.10(日)

第4回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

触覚の世界に出会う/共に歩く

1/7

触覚デザイナー 田畑快仁さんをゲストに迎えた第4回。今回のテーマは「触覚によるコミュニケーション方法を探り、他者の身体的境界を超える感覚について体感する」。第一言語は手話、コミュニケーション手段は接近手話・触手話・指点字・筆談を用いる田畑さんの世界認識を共有していただいた。

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ふれた体のやわらかさや、体温、肌の質感からはやと君を感じた。ふれられた瞬間、「伝わる」と「伝えたい」という気持ちになって「OK」と手で作って応えた。触手話で通じるって、ふつうの音声言語が通じるよりもうれしい。

子供の声が唯一の距離となって、空間の大きさを規定する
花は色ではなく肌を持っていて、紙ではなく肉だった。
二足歩行は不安が倍になる

手に触れられると安心する。見えないけど、何かありそうな気がする。木が本当にあった。でもまぐれかも。階段を登ったあとは、すぐそこに階段があって落ちてしまいそうで怖かった。どこにあるの、どこまであるの。スピードが速いとずんずん、すごく遠くに来てしまったかんじ。でも速くても怖くないのは、案内してくれる側に確信があるからかも。目を開けて公園の狭さにびっくり。

今日の海の手話は私にとって天空の存在だった。て、おもってたら今日の月すごい今日の形だ、、、手のひらに相手の温度が伝わるのがすごく心地よかった。私の温度じゃなくて違う何か。

10.31(日)

第5回

場所:いせやほり

話を始める、耳を傾ける

1/1

「改めてそれぞれの関心やつくってみたいものの話をする時間に」と呼びかけられて実施された第5回。古民家に集って座卓を囲み、ひとりずつ、ゆっくりと自分の話を始める。持ち寄った作品や対話そのものが折り重なる、やわらかな空間が立ち現れていた。

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詩が朗読される時、息を吸い込んだ音を忘れない。たぶん、言葉にできない音だから忘れることもない。
話されている内容よりも、その人が話している時の息遣いや、目線をやるところとか、えっとー、とか、なんか、とか、うんとか。そればかり覚えている。

無理に重なる部分を見つけようとすることは危険だと分かりつつも、自分の中に微かな喜びと安堵が芽吹いたのを見逃すわけにはいかなかった。こんなにも違う言葉を話しているのに、その節々から同じ匂いが、同じ音が、同じ手触りがする言葉たち。

昨日の色んな人の声のイメージ
楽しいのは ピアノ
成し遂げたいのは 服
忘れたくないのは 絵と写真

みんないい感じにノイズが聴こえない。
自分の聴きたい音を聴いている。
心の声を聴いている。
僕も鼓動に耳を傾けてみることにする

居心地の良い暗さ。目を閉じて聴きたくなる声。寄り添ってくれる黒いモフモフ。
相変わらず、どのコミュニティとも違う、このかんじ。儚くて、温かくて、ワクワクして、少し謎めいてる感じ。

2021.11

11.14(日)

第6回

場所:武蔵野美術大学鷹の台キャンパス

「つくる⇄世界」にいざなわれる

1/1

「あなたはまだことばと声を持っていません」。武蔵野美術大学鷹の台キャンパスで行われた第6回のスタディでは、「天地創造」の物語を模した世界創造の7日間の物語のなかで「わたし」や「國」づくりに取り組んだ。用意された物語のなかの存在になる体験を通して浮かび上がってきたのは、場のありかたや関係性といった「つくる」の前提にかかわる問いだった。

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万華鏡を見ているような世界だった
夢から覚めるとひとって半分忘れているらしく
なんかそんな感じだった。

ワークショップだけど、仕掛けられた感、ワークする主体になったのではない感じに打ちのめされています。じゃあ、何を作りたいの、どう手を動かせばいいの、と聞かれてもよくわかりません。「感じること」を根本から変えられてしまったような気がします。

何かが行われている空白の時間。
頭の隅に浮かんだ怖いという感覚に気づかないように、思考を停止させた気がする。

ひとりひとりのアイディアが尊重されて、取り入れられて、国になっていったのが嬉しかった。

白膜の中で、何をすることもなく、佇んでいる状態が心地よい。

大事な時間だったけれど、あの時間をどうとらえればいいのか、自分がとらえたいのか正直わからない。

言葉が出てこなかった。
だけど手にはマイクを持っていた。
僕は何かを言わないといけなかった。そこにいる人たちに。
ふりしぼられた言葉はあいさつだった。

いつの日からかわたしはものを造る身体になってしまった。とにかく言葉より手を。手で造ることを優先してる。どうも言葉として声として相手にうまく伝えられない。悔しい。

美しさはいつもあちら側の話で、良さも評価もどこか遠くの話のようであるから、こちら側の話をはじめたい。それはおそらく、誰かの世界に飛び込むことをきっかけとするけれど、もっと自分の世界に飛び込むことでもある。

2021.11.24(水)

第6回のスタディを受けて設けられた

つくりながら考える「対話の広場」その1

ナビゲーターのお誘いで設けられた「対話の広場」の1回目。顔出しは任意・出入り自由で、20時よりオンラインにて行われた。第6回(11月14日)のワークショップについてそれぞれが感じたことや意図、終わってから考えていることなどを丁寧に伝え合うと、話は「つくること」への向き合い方に。これからの創作に向けて、それぞれのモヤモヤと経験、関係性とを重ね合わせるような時間だった。
「手を動かしながら話す時間も大事にしていきたい」と和田が締め、この日は解散した。

2021.11.30(火)

第6回のスタディを受けて設けられた

つくりながら考える「対話の広場」その2

「対話の広場」の2回目。前回同様20時より、出入り自由で行われた。
このスタディでつくりたいものをかたちにしたステートメント(のようなもの)の期日が今日までということもあり、タイトル通りこの日は作業をしながら参加するひとが多かった。もくもくと手を動かすひと、つくっているものの話をするひと、話を聞くひと。出入り自由な作業場で、各自それぞれの必要に合わせた過ごし方をした。

2021.12

12.5(日)

第7回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

前編:つくりたいものをときほぐす

1/20

折り返しにさしかかり、「異なる認識世界を持った他者と意思を伝え合うメディアや手法」の制作に取り組み始めたスタディ1。第7回は、各々のつくりたいものを互いにときほぐす意見交換とアイディア共有の時間として実施。「誰に、何を、どんなかたちで届けてみたいのか」という問いを切り口に、ひとりずついま考えていることやモヤモヤを共有。メンバー・ナビゲーターという立場を横に置き、ひとりひとりが「つくりたい」に向き合う時間となった。

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私は私らしく泥臭くものを作りたいと
ここ最近思う。昨日はとてもいい時間だった。
私からも汗が流れ落ちた。

どんなものができても良いという気楽さと、
面白いものを作らなければいけないという気持ち(誰かが、自分が?、わたしを評価している)
その場を楽しむためのアウトプット
第三者から評価を得るためのアウトプット

ぼくは何を欲しているのだろうか?
そしてそれは作品制作とどのように結びつくのだろうか?

きめる、手を動かす、が苦手な頭でっかちだから、これから心配だけど、こんなに面白くてあったかい場所にいられることを毎回噛み締める。

12.12(日)

第7回の続き

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

後編:つくりたいものをときほぐす

1/15

前週に引き続き、それぞれのやりたいと思っていることをひらいていく時間。想起されたものやことを送り合うことで、そのひとの世界をときほぐし、広げていく。 2月の発表に向け、創作はいよいよスタートを切った。

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「食べる」ことでなにを伝えたいんだろう・・・
「食べる」ことでどんな景色を見たんだろう・・・
みんなの話を聞けたのもとてもよかった。
ちゃんと聞いてくれる人がいる環境、すてき。

年末、新年一発目くらいでその相手にお手紙やお葉書を送ろうと思っています。
モヤモヤがぐるぐるしててワア〜となっているので、年末までにご相談のお時間あったら、少しスッキリさせたいかもと思っています

ぶんり させない
せいりつ させない

2021.12.21(火)・12.29(水)

第7回+α

「続・つくりたいものをときほぐす + 展覧会に向けて」

第7回とその続き(12月5日、12日)に参加できなかったメンバーの話をひらいていく場として2回、オンラインミーティングが設けられた。
ダンサーとして活動している境は、いわゆる「ダンス」の求める関係への違和感やハードルを感じていると話した上で、「自分とは違う表現性を持つからだとの間で生まれる踊り」に関心があると話す。それはかならずしも人間に限らないという。
迷いを素直に口にしつつも「起こそうとして起きるものじゃなく、そこで起きることを受け入れていく態度でありたい」と話す境に、ナビゲーターチームは「気持ち悪さに向き合うということができるといいのかな」「境さんが感じている感覚を日々貯めていけるといいかも」などとアドバイスした。
野外パフォーマンスに携わったり華道や茶道に取り組んでいる柳原は、普段「話しているのに物足りない感覚」を覚えることがあるといい、五感の制限や普段と違うコミュニケーション手段を使って「つながりを感じられる装置をつくりたい」と話した。聞いていた面々からは、「つながりを感じる瞬間はいろいろあるけれどどの瞬間に興味がある?」「柳原さんが誰かとつながりたい?誰かと誰かをつなぎたい?」「求めているつながりの度合いって?」など、さまざまな質問が。「まだ考えていなかったけど、もしかしたらつながろうとしているときに興味があるのかも」と柳原は話した。
オンラインミーティングでは、2月の展覧会に向けてナビゲーターチームから会場の相談やチーム編成の提案も。随時作業日やディスカッションを設けてやりたいことや過ごしたい時間を詰めていきましょう、ということを確認し解散となった。

2022.1

1.10(月・祝)

2.10(木)

クリエーション 

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

共創・共在の道のり

1/10

1月は、2月の展覧会に向けたクリエーションの日々だった。10名のメンバーと有志による「共創」チームが、作業場で、自宅で、手を動かしながらそれぞれの求めるコミュケーションやかかわりを研ぎ澄ましていく。並行してナビゲーターチームを中心に展覧会全体のタイトルやその届け方、空間構成も検討。トライ&エラーを繰り返しながら、スタディ1を外にひらく準備が行われた。

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異質なもののまま、他者に接近できること

煮込みながら編む。
葱の香りも編む。

8時起床。
朝飲んだものは、阿波晩茶。それと、フレーバー紅茶。
お腹に訊く。お腹空いているか?いや、空いていない。
<素材をきく>をテーマに、レッドカレーを作ってみた。

気づいたら肩で呼吸していた。
まっすぐあの日を思い出して。
ただ祈って音を出した。

「魚拓」をとると面白いかもしれないと思いました。階段だったら、上から樹脂で型を取れば、磨り減った分=時間のかたちが現れる。整列テープだったら、上から紙をかぶせて転写すればいつかは消えてしまう痕跡が残せる。家だったら…超大判紙…?

体験の内容を掘り下げるよりも、できるだけたくさんの逆を見つけてシェアしたい気持ち、かも?

一夜明けて、キャプションを再考しようと思う。
どうも、思考が言葉や文字に引っ張られている感じがする。

誰もが楽しめる仕組みにするには?
→ことばは全ての人が使う道具ではないのか?

多分そんな遠くには行ってない。結局はだいたいおんなじ。でも今思うベター、ベストが見つかるといい。ギリギリでも今更でも、もちょっとふんばりたい。

『詩の傘』
喉を震わせることで自分に帰ってこれる傘をさしたい。

やりたいことはできたけどなんかちがう。

他者との間に何が起きるのか
わからない
見る見られるの前に、ニュートラルな関係のなかで起きうることを受け入れ、対話し、関係を結ぶ
自分の体で何が起きるのか

いやだめだ、染色だけはやっておこう

なんか恥ずかしいけど、大事な友達たちを誘ってみる!

2.11(金・祝)

2.13(日)

展覧会

場所:BaBaBa

『happening.』出会い・創発のための場をひらく

1/1

2月11日(金・祝)〜13日(日)の3日間、高田馬場のBaBaBaにて展覧会『happening.』が開催された。時間ごとに定員を設けた予約制で、一日を通してさまざまな来場者が会場を訪れる。半年間積み重ねてきた本スタディが、いよいよ外にひらかれるときがきた。

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いまから、おにぎり休憩します!

最初はみんなの作品の説明を聞くだけだったけど、展示期間中は、いつの間にか、自分が他のメンバーの作品の説明をする機会がなんども訪れた。
自分が話すことで、その作品はもう、私の家族になった。

私のクリエイションを見にきてくれた友達が、ずっとかかえてたことに向き合って、一歩踏み出したと連絡が来ました。

詩の時報ですが、始まりの言葉を工夫したいと思います!
「あっ」て一瞬だけでも気づいてもらえるように。

知らないあの人も誰かの大事な人。もしかしたら私の未来の大事な人。
静かで透明な心で出会いたい!おっきなお皿で出迎えたい。

私達はみんなにホイッと任せられる。きっと受け止めてくれるって思ってる。

思いもよらなかったことが、きっとたくさん、たくさん起こった3日間。
わたしは、これから残された記録やみなさんの語りを通して、少しずつその経験を追いかけよう。

2022.2.25(金)・3.1(火)

展覧会の2週間後に行われた

「『happening.』振り返り会」

展覧会『happening.』の2週間後、オンライン振り返り会が2回に分けて実施された。BaBaBaで過ごした3日間でメンバーそれぞれが発見したことや気づいたこと、展覧会から少し経ったいま考えていることなどを共有。展覧会を「ひらく」、「つくる」ところまで取り組んだことで発見や気づきが得られただけでなく、半年間一緒に走ってきたメンバー同士、お互いの知らない一面を知る機会にもなったようだ。「わたし」の考えをすくいとることばに加えて、「あなた(=ほかのメンバーや来場者)」について語ることばも多かった。『happening.』というひとつの結節点とこの振り返りを経て、スタディの関係性はまた一段階変化しつつあるように感じられた。
終わり際には制作中のドキュメントブックと、3月6日に行われる最後の活動日についてのアナウンスもあった。

2022.3

3.6(日)

振り返り会 

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

「わたし」と「あなた」とスタディ1

1/9

スタディ1最後の活動として振り返り会が行われた。「わたし」と「あなた」をキーワードに、スタディの道のりや経験、「伝える」をめぐって考えてきたことをワーク形式でリフレーミング。9ヶ月の間に育まれた互いの世界をしみじみ味わい、スタディ1の活動は一区切りを迎えた。

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みんなの応えを聞きながら、たくさんのことばを味わうことができた。
まだ消化できていないものもきっと、あるけど

「スタディ」という呼ぶこの場の在り方が、一人ひとりの「つくる」の捉え方を更新しているように感じてとても嬉しかった。

ひらけた工房を作ったらみんながまたそこで再会できること。しんどくなったら来てもいい。そんな場所をつくろうとおもいます。(久しぶりに何かを宣言した…そわっ)
精進精進!ずんずん!

随時更新

アートプロジェクトの現場から外国ルーツの若者の
支援について考える

これから求められる活動や取り組みとは?

日本に暮らす外国ルーツの若者の人材育成に取り組む海老原周子さん(一般社団法人kuriya・代表理事)をナビゲーターに迎え、外国ルーツの若者たちを取り巻く現状や課題を紐解きながら、これからの社会で必要とされる支援や活動の在り方とアートプロジェクトの可能性について探ります。

海老原さんは、アートワークショップやアートプロジェクト、高校生の中退予防やキャリア支援、さらには政策提言や環境整備など、外国ルーツの若者の多様性を尊重し、さまざまな可能性を広げるための多角的な活動を展開されてきました。本スタディでは、10年以上にわたる海老原さんの活動からみえてきたこと、そして次の10年に向けて取り組むべきことについてまとめた『外国ルーツの若者と歩んだ10年』(海老原周子著、Tokyo Art Research Lab、2020年度発行)を参照しつつ、これからについて考えます。

さらには、移民の若者を対象とした映像ワークショップにソーシャルワーカーも参加するなど、福祉的な側面にも配慮する香港アートセンターの事例や、支援の現場に関わるアーティストの活動、一般社団法人kuriyaの活動に参加した若者の経験にふれながら、日本国内で実践するためのヒントをみつけることを目指します。

※第1回、第5回はライブ配信。第2回~第4回は、収録動画(英語で実施。日本語字幕付き)を配信。

ナビゲーター

海老原周子一般社団法人kuriya代表、通訳

メンバー
  • 大学生
  • 作家
  • コミュニケーター
  • ダンス・アーティスト
  • 会社員
  • プロジェクトマネージャー
  • 団体職員
  • 保育士
  • 大学教員
  • など22名
運営(コーディネート)

桑原優希一般社団法人kuriya理事

運営(記録)

西内亜都子コピーライター、編集者

スタディマネージャー

坂本有理アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー/「思考と技術と対話の学校」校長

11.26(金)

第1回

場所:オンライン

アートプロジェクトの現場から見えてきた状況と課題

1/4

「アートプロジェクトの現場から外国ルーツの若者支援について考える」シリーズ全5回のイントロダクション。ナビゲーターである海老原の10年以上にわたる取り組みを3フェーズに分けてたどる。海老原とは独立行政法人国際交流基金に勤めていた頃から共にワークショップを企画し、kuriya設立後も共同開催するなど、活動初期からその後の変遷を知る三富章恵さん(現「NPO法人アーツセンターあきた」事務局長)が聞き手となってアートプロジェクトの現場の状況や課題に語る。

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フィリピン貧困層の若者のエンパワメントを目的とした

「Rap in Tondo」ワークショップ&ライブ

若者のエンパワメントを目的に、ヒップホップのワークショップとライブを通じて、フィリピンの貧困地区や紛争地域の若者を支援するプロジェクト。三富さんがフィリピンに駐在していた際に実施したものでフィリピン、日本、ドイツ、フランスの4カ国のヒップホップアーティスト(日本からはおみゆきCHANNELを招待)が参加し、共演した。翌2012年にはkuriyaとコラボレーションし、新宿でワークショプ「Rap in Tondo 2」が開催された。

彼らが逆境のなかで培った経験は社会にいかせるはずなのに、チャンスを広げる選択肢を失してしまうのは非常にもったいない。

アートワークのなかに教育的な要素も多分にあると思っていた。居場所があって、達成感や自己肯定感が育まれるからこそ、もっとチャレンジしようとなる。

「多様性」は育むものではなくてすでに存在しているのに、学校教育で矯正されてしまうのか。学校教育に役割はあるけれど、一人の人間を社会に送り出す上でスキルを獲得しなげればいけないことも認めてもらえるようになるといいんだろうな。

社会に対してどうやって声を上げるかを主眼に、かつ自分の表現力をコミュニティにいかそうと真摯に向き合うアーティストがいるからこそ、アートの可能性に共感した。それを思っていまに至っている。

コミュニティや縁から切り離された若者たちと外部との関係性を編んでいく仕事だった。直接的にアートが解決できることは少ないけれど、本音が集まってくる場の声を届けることに必死で。

12.10(金)

第2回

場所:動画配信

アートプロジェクトにおける連携と役割

1/6

第2回のゲストに迎えたのは、香港アートセンターが主催するifvaのアシスタントプログラムマネージャー・To Yee-lok Tobe(以下、Tobeさん)。東京でもナビゲーターの海老原と共同で映像ワークショップを実施している。今回は二人に共通するアートプロジェクトの課題やその解決策を探っていく。まずTobeさんにより香港の移民(エスニックマイノリティ)の若者を対象とした映画製作教育プログラムが紹介され、後半は海老原とのディスカッションを行った。

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香港にいるエスニックマイノリティの中高生を対象に実施

映像制作キャンプ「All about us」

香港の短編映画やアニメーション、メディアアートなどをプロモーションするプラットフォームとして、さまざまなプログラムを実施しているifva(incubator for film and visual arts)内のプロジェクト。香港のエスニックマイノリティの中高生に映像制作を教えるこのプロジェクトは、香港アーツ・デベロップメント・カウンシルよりアート教育の分野でアワードも受賞している。

さまざまな役割や担い手がフィルムメイキングや自己表現の場を一緒につくっていることがよくわかる。

文化の壁や差別、偏見を描き、物語を伝えること。映像だからこそできる表現や力があると思った。

「All About Us」は中高生の参加者と大学生も一緒にキャンプを行う体制もおもしろい。ユースワークが取り入れられたロールモデルのような役割があると感じた。

中高生メンターは身近な友達のような存在。Teaching Artistも先生というよりファシリテーター的な位置付け。こういった姿勢が学びのプロセスを共同的なものにしていると思う。Teaching Artistとも、キャンプ前の企画から一緒につくり上げているからこそ同じ目線で運営できるのではないか。

キャンプには共通言語を英語として教えるTeaching Artistや文化的差異をよく知るソーシャルワーカーが関わり、参加した若者たちはキャンプ後もつながりを持つことができる。

12.24(金)

第3回

場所:動画配信

社会包摂の学びの場 ~担い手を育てる~

1/4

第3回のゲストは東京を拠点にフリーのデザイナー、プログラマーとして活動しているAvinash Ghaleさん。新大久保で実施したアートプロジェクトに参加し、kuriyaのユーススタッフとしてワークショップの企画運営やファシリテートも担ってきた。数々の現場を経験してきた当事者である二人の視点から「アートプロジェクトの現場では何が必要とされているのか?」「今後、外国ルーツの若者たちと共に取り組むプロジェクトで求められる担い手とは?」を考える。

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ステンシルと光のライトペインティングのワークショップ

「Light painting Party」

プレゼンテーションで紹介されたワークショップの動画「Light painting Party」はAvinashさんが新宿アートプロジェクトで実施した、ステンシルと光を用いたライトペインティングの様子。kuriya設立以降はそれまで以上に多くのワークショップを実施し、ドキュメント動画をYouTubeで公開し、ネパール人コミュニティで流行っていたVLOGや写真のワークショップを開催するなど意欲的に活動している。

アートワークショップは、さまざまなバックグラウンドを持つ人々に出会えるハッピーで楽しい場所。

若者たちを写真や動画に記録することで、自身が一人の表現者であることを自覚していったように思う。

「カメラ」というツールを通じて対話をしていた。同じ境遇にいる外国人同士だからこそ言語や文化という側面から異なるアプローチをすることができた。

ビデオや写真のスキルだけでなく、移民社会の状況に関心を持ってアートプロジェクトに参加していたとは驚き。意識的に仕掛けたわけではなかったので。

アートは他の若者とのかかわりを持つための重要な要素だった。

インタビューや調査だけでは、彼らは自身のことを話してくれなかったと思うのです。文化ナビゲーターのような存在が、日本社会へ新しく入ってきた人に言語や文化をナビゲートする、つまりソフトランディングができていたのでは?

1.28(金)

第4回

場所:動画配信

アーティストと共につくる

1/4

第4回のゲストは、写真やビデオの制作・パフォーマンスを行うクアラルンプール在住(ペナン島出身)のヴィジュアルアーティストOkui Lalaさん。地元の大学では講師を務め、ワークショップのファシリテーターやコミュニティのリサーチャーとしても活動している彼女とのディスカッションで、多文化な若者たちやアーティストと協働する上でのかかわり方について考える。

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東京のまちなかで異文化を撮影する

「ルービックキューブツアー」

Okuiさんがkuriyaと協働したプロジェクト。参加者はまちを歩き、例えば店の看板などを撮影し、撮った写真がどこからもたらされた文化なのかを話し合い、カテゴリーに分類してルービックキューブに貼り付けていく。自分たちの文化を見つけると同時に、異なる背景を持つ人々が共同作業しながら異文化を理解する。参加者の多様性がいかせるプロジェクトであり、そのプロセスは教育的な学びの視点を得るだけでなく他者性への意識啓発にもつながった。

変わり映えないように見える日本のまち並みのなかにも、色々な文化があるということに気づかされました。

インドネシアの家事従事者の言葉を引用すれば、アートはブリッジ(橋渡し)である、異なるコミュニティに橋を架けるものだと言っていました。

移民の若者は良い意味でセンシティブな観察者です。若くて同時に大人でもある。国を離れてサバイブ(生き残っていくことを)してきたからかもしれません。そういうスキルや自分の考えを披露する機会がない彼らの自主性を尊重します。

ステレオタイプでは語れない一人の人間、夢を抱く若者たちであることを、kuriyaやプロジェクトパートナーから学んだと思うのです。

多様な人がいるマレーシア、私たちの社会で寛容という言葉を使います。アイデンティティを探る、強みを見つける、歴史を知ろうとする背景が役立っているんだと思います。

プロジェクトパートナーとの交渉の余地を探すというか、相手の話を聞きながら共通のポイントを見つけて、どこがシェアできるのかを考えるんですね。

Noと言っていいというお話がとても印象に残りました。もし意図が合致しないなら、アーティストの側からNoと言ってもいいんだと思います。

2.25(金)

第5回

場所:オンライン

ゆるやかなつながりと制度・基盤づくり

1/1

シリーズ最後は、これまでの第1〜4回を坂本有理(「思考と技術と対話の学校」校長)とのディスカッション形式で振り返る。各回ゲストとの対話から、印象的なキーワードが挙げられた。海老原が若者を支援するようになった2016年の東京アートポイント計画事業「Betweens Passport Initiative」以降の活動についても紹介し、アートプロジェクトの限界と可能性についての考えを深める。ライブ配信を視聴する参加者からは質問や感想が寄せられた。

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Betweens Passport Initiative

定時制高校での放課後部活動「多言語交流部(One World )」

2016年、東京アートポイント計画事業の一環で、若者たちの多様性を育てる人材育成事業「Betweens Passport Initiative」がスタート。移民の若者が多く在籍する都立定時制高校に居場所をつくることを目的としたワークショップやプロジェクト実施した。この取り組みは、同年に海老原が設立したkuriyaと東京都、アーツカウンシル東京の三者が協働している。以降、海老原は自身の活動を若者支援の仕組みづくりや政策提言へと方向転換していく。

表現の場で役割をもてるということは、重要な要素だったのではないでしょうか。

ワークショップのボランティア。次はユーススタッフに。そしてアーティストとしても、どんどん能動的にかかわっていくことができる。kuriyaという場所の存在がとても大きかったのかな。

若者たちとプロジェクトを準備していた時「外国ルーツってなんですか?」と聞かれて、はっとしました。

本当は「移民」「外国ルーツ」という言葉もしっくりこなくて、当初はむしろ多文化な若者と呼んでいたんです。難しいな、とつくづく思います。

これからの Webサイトに
ついて考える

Webサイトは必要か? できること/できないこととその可能性を探る

自分たちの活動を誰かに伝えようとする時、世界中の誰もがアクセスできるWebサイトは情報発信のツールとして魅力的です。アートプロジェクトや展覧会の周知、アートNPOや文化施設の活動紹介、アーカイブの発信などにおいて、Webサイトの活用が選択肢として議論に上がることは多いのではないでしょうか。

しかし、実際にWebサイトをつくろうした時、どこから考え始めたらいいのか、誰とどうつくるのか、予算はいくらあれば良いのかと、悩んでしまうことはありませんか?Webサイトをつくったはよいが、効果的に活用できているのか不安ということもあるかもしれません。さらには、SNSによる情報発信が主流となりつつある昨今、果たしてWebサイトは情報発信の最適なメディアといえるのでしょうか?

本スタディでは、「なぜいまWebサイトをつくるのか」という問いを起点に、Webサイトが得意なこと、苦手なことを探りつつ、これからの時代のアートプロジェクトや文化事業におけるWebサイトの可能性について探究します。情報発信のみならず、オンライン上でのプロジェクト実施や、プラットフォームの構築などプロジェクトデザインの視点もとり入れながら、型にはまらないWebサイト制作/活用のために考えるべきこと、知っておくべきことは何かを掘り下げていきます。

ワークショップやディスカッション、国内外の先進的な事例のリサーチ、ゲストによるレクチャーなどを通じて、これからの情報発信、あるいはWeb展開を伴うプロジェクトの戦略について、参加メンバーそれぞれが「指針/モノサシ」を獲得し、現場に活かしてゆくことを目標としています。

ナビゲーター

萩原俊矢ウェブディレクター

メンバー
  • 赤堀竜海ウェブエンジニア
  • 秋山きららコレオグラファー、コーディネーター
  • 小山晶嗣ダンサー、プロダクション・マネージャー
  • 邵琪デザイナー、学生
  • 田村悠貴アートNPO広報担当
  • 千原凌也デザイナー
  • 細川紗良コミュニケーションデザイナー
  • 水野雄太編集者
  • 明貫紘子キュレーター、メディアアート・アーカイブ研究者
  • 八木あゆみウェブディレクター、編集者、ライター
運営(記録、リサーチ)

西山萌編集者

スタディマネージャー

坂本有理アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー/「思考と技術と対話の学校」校長

櫻井駿介アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー

10.20(水)

第0回

【スタディ3】ナビゲーターからのメッセージ

1/2

スタディ3 「これからのウェブサイトについて考える」では、萩原俊矢さん(ウェブディレクター)がナビゲーターを務めます。 本スタディでは、「なぜいまWebサイトをつくるのか」という問いを起点に、Webサイトが得意なこと、苦手なことを探りつつ、これからの時代のアートプロジェクトや文化事業におけるWebサイトの可能性について探究します。 参加者を募集するにあたり、ナビゲーターのメッセージを掲載。ぜひご覧ください。

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11.27(土)

第1回

場所:Zoom

なぜいまWebサイトについて考えるのか?

1/5

第1回は「Webサイト」とは何か?という問いを基点に、1700年代ナポレオン時代に発明され、人力で情報伝達されていた「世界初のインターネット」まで遡るところからスタート。「情報を追いかけて」いた時代を経て、望まなくても「情報側から勝手にやってくる」時代に「Webサイト」の存在意義とは何なのか。また誰もがユーザであり誰もがつくり手になる昨今、わたしたちにとってユーザは誰なのか?セッションを通じて探究していく。

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「過去・現代・未来」の情報がある時に、企画し、思考し、創作し、発表する、流動的な創作プロジェクトのプロセスをWebサイトでどこまで発信し、どのように運用していけばいいのだろう?

「遅さ」を担保するためのWebサイトはあるのだろうか?ページビュー数ではなく定量化できない表現の「質」についても考えていきたい。

Webサイトで「クセ、テクスチャ、温もり、エモーショナルな部分」を伝えることはできないのだろうか?

リサーチベースのアートプロジェクトも増えている中で、流動的に展開しゴールが曖昧なプロジェクトの情報発信をどうするべきだろう?

Webサイトは「建築」と似ていると思う。

パフォーマンスは1時間の映像に残せるかもしれない。けれどそのパフォーマンスは創作活動全体の10%に過ぎない。作品を生み出すために費やされた、残りの90%にあたる数ヶ月の創作期間や過程は、Web上に全く残すことができていない現状にモヤモヤしている。

更新が大変な状況を、いかに既存のツールで低予算にHackしていけるか。

書籍・展覧会はユーザの導線が規定しやすいインターフェースなのに対し、WebサイトはSNSからの流入なども含め、導線を規定することが難しいと思う。

紙は印刷したら修正不可能だけど、Webはいつでも修正することが可能ということもあり、本当は中身が大切なのに、技術だけが独り歩きして、編集ポジションの人がいないことも多いと感じる。

オフラインにある偶発性をオンラインで再現することは可能か?

12.18(土)

第2回

場所:Zoom

あなたのWebサイトの「ユーザ」とは、いったい誰なのか?

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第2回目は「ユーザ」とは誰なのか?という問いを基点に、そもそも「ユーザ」について考える必要があるのかを検証するべく、1912年にユーザ度外視で作られた「シュヴァルの理想宮」に目を向けることからスタート。目には見えない画面の向こうの彼/彼女らを意識したとき、伝え方はどのように変わるのだろう。各自が取り上げたいWebサイトとターゲットユーザとなる「ペルソナ」をもとに、紐解いていく。

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ぼんやりとは考えられるけれど、どんな音楽が好きか、どんな生活をしているのか、収入やSNSへの依存度などを考えていくためにGoogleで色々な人の情報を検索したりしていたら1時間あっても書けないくらい悩んでしまった。特に難しかったのは自分が通っていない年齢、立場を考えること。

集めた情報に対しWebサイトを見る人にとっての「とっかかり」をいかに客観的に作れるのか。「ファインディングエイド」をどのように設計できるのかを考えたい。

飲食店であれば美味しいか不味いか、お客さんの表情を見ればその感想も一瞬でわかってしまうのに比べて、Webサイトでは届いているのか届いていないのか、誰がどんな思いを抱いているのか多くの場合は想像するしかない。

一番の難関は「ABOUT」ページに何を書くのか。20キロメートルくらい散歩をして考えたけれど、答えが見出せない。Webディレクターとして仕事をしているけれど、自分のサイトを作ることが一番難しいかもしれないですね。

Webサイトを作るとき、作り手は素材を整理することからはじめる。アートプロジェクトにおいて、Webサイトを作ることで素材が整理できることもひとつの成果といえるのかもしれない。

「完璧にわかりあうこと」はできないけれど、「ペルソナ」を通じてユーザの気持ちに「共感できる部分」を探す作業は実践できるかもしれない。

アーキビストの立場からすると、「資料」は予想がつかないジャンル、将来誰かが見つけてくれるかもしれない可能性を想定し編集しすぎず、公文書館のように事実を全て残しておくというWebサイトの形も必要なのかもしれない。

特定の興味で集まった不特定多数の人が編集していく集合知、正解のない情報のあり方に可能性を感じています。

会社のコーポレートサイトを考えると、会社として何を大切にしているかコアな部分を見直すきっかけになる。Webサイトを作ることではじめて生まれるコミュニケーションがあるかもしれない。

作りたいのは「自分のお墓としてのミュージアム」。幼少期から、自分のために自分の記録はできる限り全てとっておくようにしていて。ライフログをどう残していけるのか、そのフォーマットを考え中です。

1.22(土)

第3回

場所:Zoom

もやもや島巡り

1/6

第3回ではWebサイトにおける「もやもや」の正体は何なのか?プロジェクトメンバーから挙げられたトピック、短期的な評価、長期的な価値、ウェブと費用と手間、アーカイブデザイン、誤配についてのもやもや、人柄や内面や周辺情報の伝え方、かっこよさと実用性、情報保障とアクセシビリティといった7つのもやもやの実態をリサーチ、分析することでその傾向と原因、解決方法について考える。

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書籍は校了して印刷するので、物理的に修正不可能な状態になり諦めがつく。対してWebサイトはいつまでも修正可能でずっと完成しない建築物のよう。

Webサイト以前、アーカイブというと公文書館のように権力の集まりであり門番がいる厳重な場所だった。一方でWebサイトにおいてアーカイブを考えると、個人の情報に寄った小さくて弱いものを集めたり公開したりするのにちょうどいいのかもしれないと感じている。

情報発信の頻度を制限したり、特定の日時にしか情報発信をしないWebメディアのあり方はデジタルデトックスともいえる。速さ、遅さではなく「タイミング」も含めたスピードやWebサイト上における無駄、引き算されることにおける価値についても考える必要がありそう。

「history(歴史)」と「story(物語)」がとても近い存在であるように、人の記憶、物語の構造は歴史構造につながっている。

個人的な関心として考えたいのは公的機関における堅牢なアーカイブスではなく、記録と記憶が相互に侵食し合うような小さなものが小さなまま循環する環境。

「誤配」を細分化すると「起きちゃいけない誤配」、「起きていい誤配」、「起きちゃって良かった誤配」、に分けられる。

リアルな世界だとひとつの人柄でも、受取手によって印象が変わるが、Webサイトでは自らその見え方を設定するので「こういう人として見られたい」と固定された見え方になる可能性が高い。Webサイトで全てを伝え切ろうとせず、想像の余白を残すという選択肢も考える必要がありそう。

ポートフォリオなどでそもそもWebサイト以前にWORKS自体に個性がある場合、シンプルに並べたとしても、個性は自ずと現れてくるのではないか。それでもWebデザインで個性を出す必要があるのか?

「使いやすさ」をユーザの「慣れ」であると定義するなら、基本的に独創的であるほど使いづらくなってしまう。そこでかっこよさを両立するためにはアフォーダンスを意識する必要があるのではないか。

アーカイブデザインには資料を探す際、どんな軸を設けておけば検索性が上がるのか、その手がかりとして用意される「ファインディングエイド」という考え方があるが、アクセシビリティにおいても応用できる考え方なのではないか。

1.26(水)

第4回

場所:Zoom

ゲストレクチャー:伊敷政英 (Cocktailz)

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「アクセシビリティ」とは何か。そもそもどのような形がアクセシブルであると言えるのか。「JIS規格(『JIS X 8341-3:2016』の略)」に準拠するためにはどこから取り組めば良いのだろう?実例の少なさもあり、前回モヤモヤがモヤモヤを呼んだトピック。第4回目では、視覚障害当事者でありアクセシビリティコンサルタントとして、企業や自治体・省庁などのWebサイトにおけるアクセシビリティ改善業務に取り組む伊敷政英(いしき・まさひで)さんをゲストに招き、Webサイトにおけるエクスクルージョン/インクルージョンについて考えていく。

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目でみて何かをすることができなくなったことで一番困ったのが、読み書きができないこと、あとは移動。白杖を伝わる振動や音を手で捉え、足の裏で地面を感知しながら歩くというのは想像以上に難しい。

例えば車椅子が通りやすいように入り口を広くしたらベビーカーも一般の人もストレスなく通れるようになるように、アクセシビリティを高めることで、一般のユーザにとっても使い勝手の良くなる事例はあるのだろうか?

JISに準拠しているから必ずしもアクセシブルとは言えない。「文字サイズを大きくする/小さく」するというボタンも、弱視で文字が読みづらい人は特定のWebサイトだけではなく、PCを起動した時から文字を大きくしてほしいので、特定のページだけ文字が大きくてもあまり意味がない。どう使われるのかをあまり検討せずに、作法として機能が置いてあるケースが多いが、そういったものはほとんど使われないというのが現状。

スクリーンリーダーでは画面のテキストは上から順に読み上げられるので、飛ばし読み、斜め読みができない。できるだけその時間を短縮するためにも少しずつ読む速度が速くなり、通常の4倍速ほどで聞いている。

JIS-8341はデザイナー、クライアント、エンジニアが一丸となって取り組まないと達成できず、しかも認定を受けるには審査にお金もかかる。アクセシビリティ審査に資金が回せないプロジェクトも多いなか、あまりお金を掛けずに「アクセシブルなサイトだと自信をもてる」方法やコツはあるのだろうか?

Webサイトのリリース直前にアクセシビリティのチェックをして問題が発生しているとわかったとしても、タイミング的に改修が難しい。アクセシビリティを向上させるためにはデザインのプロセス、上流のワイヤーやデザイン案、情報設計の段階から当事者が入ることが重要になる。

地図でとても大事なのが「正面に花屋があります」というような具体的な表記。花屋は音や匂いに加え、水を撒いているので少し温度が低いことから視覚障害者にもわかる。ドラッグストアやコンビニなども蛍光灯がたくさん付いているので明るく、弱視の人にとって目印になりやすい。音・匂い・温度など視覚障害があってもわかるランドマークを使ったテキストの道案内があると安心する。

足の裏から伝わる情報は意外と多い。点字ブロックがない通りを歩く時も、例えばふだんローファーを履いていますが歩道と車道を区切る白線も足の裏でわかる。道路のわずかな傾きも、見えている頃は気が付かなかったのですが、見えなくなってから歩くと、傾いているのがわかる。見えなくなったからこそわかるようになったこともあるのかもしれない。

ヘルプページが動画になっていることがあるが、本当は文字で読みたい。YouTubeなどのコンテンツ動画にある予備校のノリで学ぶチャンネルも、とてもわかりやすいと思うけれど、板書を全部読んでくれるコンテンツがあったら絶対に見るのにと思う。一から十までを全部読むと、人によっては余計な情報かもしれないが、せめて文字に起こしたものを掲載してほしい。

難しいのは、「読みやすさ・見やすさ」が立場によって異なること。例えば弱視の人にとっては、コントラストがはっきりしている方がよく見えるが、発達障害のある人、視覚過敏のある人にはコントラストが強すぎると、白い線のみに意識が向いてしまって文字が読めない。外国人やディスレクシア(読字障害)、文字を読むことが苦手という人の場合はルビやフォントを変えることである程度読みやすくなったりする。全員に完璧に対応することが難しいなかで、落とし所をどこにするかが腕の見せ所だ。

2.5(土)

第5回

場所:Zoom

「ユーザ」になりきって情報発信を考えよう

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制作プロセスの早い段階で、できるだけこまめにさまざまな人からレビューを集め、多様な視点を反映していくことがアクセシビリティを向上させるためのひとつの手がかりになるとわかった前回。第5回では具体的なターゲットユーザ(ペルソナ)から一歩踏み込み、どのようにWebサイトに辿り着くのか。Webサイトと出会い、訪れ、帰るまでを想像しながら、カスタマージャーニーを辿っていく。

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リサーチ力があると思っていたけれど、カスタマージャーニーに必要なのはまったく違うスキル。想像の範囲を考えるのがとても面白いなと思うと同時に、私自身とても狭い世界で過ごしていると感じました。

「こういうライフスタイルの人はどういう選択をするのか」と、ふだん自分の視点では思考の及ばない範囲まで調べることでリサーチの幅が広がると同時に、日頃いかに自分が狭い環世界で過ごしているのかを知る機会になった。

リアルな世界におけるイベントや行事、書籍や新聞広告、ラジオ、テレビ、街頭広告と並列にSNSやYouTube、アプリケーションと並列にWebサイトがある。オンライン上での挙動のみならず、そもそもどのような選択肢が存在しているのか、ライフスタイルにまで視野を広げてみる。検索結果だけではなく他のチャンネルにペルソナとの接点があるのではないかと考えることが可能になる。

「ユーザテスト」を実施するときは「分析」はせず、ただひたすら「観察」に徹することが求められる。

検索結果の上の方に出てくるリスティング広告がうるさくて、避けがち。自然検索で出てくることを検討すると良いのかもしれない。

ペルソナを考えるというのはいかにも実在しそうなユーザをリサーチして想像することで、自分の視点·発想からは到達できないアイデアに辿り着くための、いわば発想法。ペルソナによって、商品の形、アイデアが具体化していく。

2.19(土)

第6回

場所:Zoom

ウェブもやもや事典をつくろう

1/5

「Webサイトは必要か?」という大きな問いからスタートしてきたスタディ3もいよいよ最終回。コレオグラファー、キュレーター、コミュニケーションデザイナー、編集者、ディレクター、ライター、デザイナー、広報、ウェブエンジニア、ダンサー……これだけ多様な立場から、いまのWebサイトについて“もやもや”と考えている集団は日本中探してもココくらいかもしれない。第6回では前回の振り返りからスタートし、スタディ3を通じて得た気付きや考えを編纂するべく水面下で進められていた「ウェブもやもや事典」について。「スタディに参加する前の過去の自分たち」をペルソナに、事典の構成内容を検討していく。

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WebサイトやWebサービスの制作を仕事としているので、「Webサイトをつくる」と言われると必要な工程ややり取りをシミュレーションしてしまう。そんな「どうつくるのか」ということにフォーカスしがちな普段の仕事から離れ、今回「なぜつくるのか」を素直な気持ちで考えることができたのは良い経験、気分転換になったと感じる。

Webサイトは石のようにはなりきれない、長いパフォーマンス。アーカイブサイトもアーカイブというパフォーマンスであると捉えられるのではないか。

Webサイトには担当者に任されがちだが、仲間を巻き込むことでさまざまな視点を取り入れることができ、自分たちにとってのよいWebサイトとは何かという問いにもっと近づけるのではないかと思う。

「ユーザ中心主義」であることが、果たして良いデザインなのか?

この人数でもこんなに課題が出てずっと考えられてしまうのに、世界80億人がアクセスできる場所にぽんぽん公開できるなんて怖すぎるしすごいツールだなあと。それぞれのトピックだけでひとつのスタディがたつくらい、Webというものの広さを実感した。

立場「ならでは」の問いの立て方があることも発見でき、いま、オリジナルなもやもやをつくりたいとも考えている。みんなの「もやもや」をめぐって・組み合わせて、自分のオリジナルな「もやもや」を考えたい。そして、わたしの「オリジナルなもやもや」が誰かの「もやもや」になる、なったらいいなと感じている。

そもそもWebサイトはいつまで“もつ”のか。世界で最も長寿なWebサイトって何歳なのだろう?

“東京で何かを「つくる」としたら”という投げかけに対して行われた、
さまざまなスタディ(勉強、調査、研究、試作)の記録です

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