2018.10.14(日)

第2回

場所:東京大空襲・戦災資料センター

被災経験を聞くこと、伝えること

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「ひとの話を聞く」ことを活動の根幹として始まったこのスタディ。第2回の活動は、東京大空襲・戦災資料センターへ。館長の作家・早乙女勝元さんは第二次世界大戦に関する聞き書きを50年ほど続けている。「ひとの話を聞く」大先輩は、どのような思いでこれまで活動を続けてこられたのだろうか?

当日は午前10時に現地集合。まずはセンターの主任研究員である社会学者の山本唯人さんによってこのセンターの解説が行われた。そもそもこのセンターは、早乙女さんが1970年に結成した「東京空襲を記録する会」(以下、記録する会)が母体となっている。その後、東京大空襲を記録する都立施設として「東京都平和記念館」の建設計画が進んだが、1999年に凍結。公的な博物館がつくられないなら、民立民営の資料館をつくらねばならない、という意志のもと、記録する会は財団法人政治経済研究所とともに民間募金を呼びかけ、2002年にここ、江東区北砂に開館した。
このような開館までの経緯や展示物についての説明が行われた上で、早乙女さんのお話が始まった。東日本大震災、東京電力福島第一原子力発電所事故後に福島を訪れた際のエピソードから始まり、現場に立つことで生まれる疑問や関心の重要性、文章を書くようになったきっかけなど、さまざまな話が展開された。
特に印象深かったのは、記録する会で被災体験を集めた『東京大空襲・戦災誌』(全5巻、1973〜1974年)を制作したときのこと。「どのような体験をしたのか想像させる体験記があって、はじめて追体験ができる」という考えによって、寄せられた体験記はすべて採用、原文尊重の方針で編集を進めた。同時期に早乙女さんは空襲体験の聞き書きを開始。「いままで一度も空襲体験を話したことがない人から話を聞き出してきた。話を聞いた責任は軽いものではない。同じ経験を繰り返さないために、想像の及ばぬところまで聞き出し、それを後世に語り継いでいかなければいけない」と「ひとの話を聞く」ことの責任について述べ、本編を締めくくった。メンバー一同、真剣な顔で話に聞き入っていた。
次いで、質疑応答の時間。さまざまな質問が飛び交ったが、聞き書きを通じた継承について、「体験者の記録といっても、それぞれみんな違い、惨劇の一つの点でしかない。しかしその点を集めれば線になる。複数で全体像を伝えること、線から面にしていく可能性を『東京大空襲・戦災誌』は与えている」という言葉を早乙女さんから聞かせてもらった。

お昼休憩を挟んで、午後は山本さんから2018年2月から4月にかけて行われた特別展「名前と顔と足あとと 3月10日失われた人びと」の話題を皮切りに、体験者が非体験者に直接話を伝えられなくなった際の「継承」の問題や、今後のセンターの資料展示のあり方などについて話題提供があった。
メンバーからは「話を聞くことの責任」「時間とともに語りが変容していくこと」「追体験とは何か」といったキーワードが上がり、早乙女さんやセンターから受け取ったものを咀嚼して血肉にするための言語化に必死に取り組んでいた。終盤、全員での対話の中で「聞くことは、想像力の及ばない遠くに飛ばしてもらうこと」と瀬尾夏美が述べていたが、話を聞くことで自分が想定していなかったものに出会ったとしても、それは引き受けねばならないものだろうし、それこそが聞くことの責任なのだろう。センターから出て、最寄り駅まで向かう道すがらも、余熱ありあまるメンバーたちの話は止まらなかった。

Text=高橋創一