2020.10.10 (土)

第4回

上野恩賜公園 / ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

上野のまちで、他者の存在に目を凝らす

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第4回のゲストは、在日コリアン3世でライター・エッセイストの金村詩恩さんをゲストに迎え、スタディ3初のフィールドワークを行った。

あいにくの雨のなか、朝10時、スタディメンバーが上野公園に集合。金村さんによる、上野公園の歴史解説を聞きながら歩いた。
金村さんは、上野公園はかつて東叡山寛永寺として天台宗の僧侶たちが常駐していたことや、不忍池の周りで競馬が開催されていたことなどを紹介。国立博物館前では、所蔵品のうち、日本統治下の朝鮮半島から流出した文物の“引き渡し*1”をめぐり、日韓で論争が起きていることなどを説明した。

*1 韓国政府は「引き渡し」ではなく「返還」という表現の使用を求めている。
http://www.asahi.com/senkyo/news/TKY201011080153.html

「私が昔、韓国の放送局の下請けで働いていたときに、国立博物館に取材申し込みの電話をしました。すると『美術品は韓国のものだとか、そういう取材なら断りますよ』と言われました」と苦笑して振り返った。

パンダ橋のほうに移動し、戦後のGHQ統治下の上野についても説明。
「ここから見えるのが、アメ横です。アメリカ軍の物資がここで卸されていたわけです。そこで、上野の商人たちが小麦粉などの物資を横流ししていました。そのなかには当然、旧植民地出身者がたくさんいて、その人たちは、上野に住んでいました」

一同は上野公園を後にすると、金村さんについて東へ移動した。
金村さんは、首都高から一本東に入った路地で足を止めると、解説を再開。
「この辺りが、東上野です。新大久保のコリアンタウンと違うでしょう? 1948年にこのまちができ、52年に旧植民地出身者だけが住むことになりました」と歴史を紹介した。

ここが、この日のフィールドワークの実質的なスタート地点。スタディメンバーが3人1組に分けられ、金村さんから「皆さんにこの辺りを自由に散歩してもらいます。お昼ご飯で何を食べたか写真を撮ってきてください。あと、気になった碑や看板の写真も撮ってみて」と求めた。

一帯には、焼肉店や中華料理店、キムチや海苔など韓国食品を扱う物産店などが軒を連ね、「漢方相談」「朝鮮食品 仕出一式」などの看板も。ひと一人が通れる程度の細い路地があったりして、新大久保ほどわかりやすいものではないが、エキゾチックな雰囲気が漂っている。

普段あまり上野を訪れないメンバーは、「上野にこんな場所あったんですね」などと感嘆の声を漏らしていた。

——

フィールドワークの後、3331 Arts Chiyodaに戻り、金村さんによるレクチャーが再開された。
金村さんからメンバーの手元に配られたのは、日本史と朝鮮半島史と在日コリアンに関わる出来事を1つにした歴史年表。

明治27〜28年 日清戦争
同42年 伊藤博文が安重根に暗殺される
同43年 日韓併合
大正8年 3.1独立運動、大韓民国臨時政府成立
昭和13年 ハングル教育禁止
同15年 朝鮮日報・東亜日報廃刊

などが記されており、スタディメンバーたちは年表を手に、日本と朝鮮半島でこうした歴史が刻まれてきたという事実を改めて咀嚼(そしゃく)。金村さんは、「重要なのは知識を覚えることではなく、頭のなかで何か引っ掛かりを持つこと」と伝えた。

続いてフィールドワークの成果発表に。

あるグループは「京城料理」「珈琲王城」などと書かれた看板を撮影。
「『京城』がどういう意味かと思い撮影しました。スマホで調べてみると、『韓国のなかの日本の領土だった土地』というような意味もありました。(店主に)そういう意図はないのかもしれないですが、どういう意味なんだろうねと話していました」と写真を見せると、金村さんは「京城は、旧植民地時代のソウルの名前です。おそらくソウル料理という意味でつけたのだと思います。今『京城』と言うとどこだかわからないですよね。それが大切。それだけ僕らの感覚というものは書き換えられているんです。韓国でも、植民地時代を知らない世代だと、『京城』という言葉を知らない人がいるんです」と応えた。

このグループのランチは、火鍋料理。一人一台ずつ鍋が用意され、使用方法などの説明は中国語で書かれていた。

金村さんは「鍋って本来はみんなで囲むものですが、それが個になってきた。これも文化の変容ですよね。今後また、『やっぱりみんなで食べたほうがいいね』となるかもしれない。『あ、変わった』ではなく『なぜ変わったのか』(を考えることが大切)。僕は、鍋は囲むものという常識を持っているけど、それがいかに危ういものであるかということですね」と、常識の可変性を指摘した。

またあるグループは、江戸時代に花街だった仲町通りを散策。
「1つのビルのなかに、フィリピンやタイなど、国旗の上に店名を書いたナイトクラブが同居していました。かと思えば、由緒正しい着物の仕立て屋のような店もあって、成り立ちが気になりました」

発表を聞いた金村さんは、「一方では雑多な感じ、もう一方では綺麗な感じ。これはなんなんだろう、という感覚は大切ですね。こうした感覚は、私たちのなかに『着物は雑多なものではない』という意識があるから。雑多なものと伝統的なものという価値観を私たちはどこで測っているのかを考えるのは面白いかもしれません」とコメント。

「(考えるには)他者を知らないと始まらない。自分だけの世界や常識にいたら、自分の考えがおかしいかも、とはならないんです。フィリピンパブは雑多で、着物は雑多じゃない。それはなんでかなあと思うことが大事です」

「(他者を知る上では)お互いに触手を伸ばして、変容し合う関係を作っていくのが何より大切だと思います」

メンバーからはブラックライブズマター(BLM)に関わる質問も飛んだ。
「私は、意識的にBLMに触れないようにしていました。今思うと、たぶん知識を得ることで、当事者の気持ちを分かったかのようになり、彼らの気持ちを代弁するようになったら失礼なんじゃないかと思ったのかもしれません。他人であることを尊重しないといけない、というのが、変な慎重さに結びついていたのかなと。ここにどう向き合うべきかと考えています」

金村さんは「あまり思いつめないようにしたほうがいい」と笑顔で返した後で、「他者と自分との異なりにどう気づくかが大事ですよね。あまりに自分を投影しすぎてもだめだし、かといって『関係ない』と触手を伸ばさないのもだめ。『分かる』と『知る』は別なので、『知る』というところから始めて、少しずつ分かっていけばいいと思います」とアドバイスした。

さらに、それは「すごく時間がかかる」とも強調。
「インターネットの時代は即時的です。フォローや友達申請など、関係性を積み重ねるものではなくなっています。僕は答えを言うつもりはないんです。答えがわからないから文章を書いていますし。ああじゃない、こうじゃない、と紆余(うよ)曲折しながらやっていくのが、人間の力の見せどころではないでしょうか」

スタディメンバーがそれぞれフィールドワークで見つけてきた「気になったもの」は、きっと普段何気なく暮らしている分には気がつかなかったものばかりだ。

「なぜこんな張り紙があるのか」
「どうやってこのエリアが形作られたのか」
「通りの名前の由来はなんなのか」

これらの疑問は、まちを自らの足で歩き、目を凝らした末に発見したもの。

他者や、物事の背景を理解するには近道などないのかもしれない。そんなことを、金村さんは伝えてくれた。

Text=鷲見洋之