東京プロジェクト
スタディとは?

Tokyo Art Research Lab「思考と技術と対話の学校」で展開する、
アートプロジェクトの核をつくるための実践です。

“東京で何かを「つくる」としたら”という投げかけのもと、
ナビゲーターが参加者と共にチームをつくり、
スタディ(勉強、調査、研究、試作)を重ねます。

2019年度は、アーティスト、ディレクターなど、
関心や属性の異なる3組の「つくり手」がナビゲーターを担当し、
東京という土地との関わりのなかでテーマを設定しました。

また、スタディを実行するうえで必要な人材について適宜提示し、
チームをつくりながら展開。
それぞれのスタディには、アーツカウンシル東京のプログラムオフィサーが伴走し、
学びのサポートをしました。

このウェブサイトは、それぞれのスタディがどのように
「何かをつくる手前の時間」を過ごしたのかを記録するものです。
何を、誰と、どのように向き合ったのか。
スタディの活動と、同時期に並走するナビゲーターたちの創作活動に目を向けます。

そのプロセスや、そこで生まれたことばや手法を蓄積する素材庫は、
いつかの誰かの「つくる」ヒントになるかもしれません。

わからなさ、複雑さ、そしてときに遠回りすることを大事にしながら
予定調和に陥らない「つくる時間」に身を置く実験を、
ぜひ追体験してみてください。


Tokyo Art Research Lab (TARL)

アートプロジェクトを実践する人々にひらかれ、共につくりあげる学びのプログラムです。
人材の育成、現場の課題に応じたスキルの開発、資料の提供やアーカイブなどを通じ、
社会におけるアートプロジェクトの可能性を広げることを目指しています。
https://tarl.jp

「東京プロジェクトスタディ」ウェブチーム

ウェブディレクション:萩原俊矢
ウェブサイトデザイン:井山桂一(GRANDBASE inc.)
プログラミング:萩原俊矢、多田ひと美(GRANDBASE inc.)
編集方針設計:川村庸子、高橋創一
制作アシスタント:岡野恵未子(アーツカウンシル東京)
企画統括:坂本有理(アーツカウンシル東京)

イメージビジュアル:加藤亮介

2019

続・東京でつくるということ

「わたしとアートプロジェクトとの距離を記述する」

アートプロジェクトは誰のもので、何を目指すのか。
多くの人が現場で直面するこの問いについて、「記述する」ことを通して考えます。

さまざまな立場の人がかかわるプロセスそのものが作品として提示されるとき、鑑賞者はもちろん記録者(カメラマン、ライター、編集者)や批評家も、純粋な観察者ではいられません。
こうした場面ではしばしば、文化人類学等で用いられる「参与観察」という手法が参照されますが、その際、観察者が自身の背景や身体性と向き合い、対象との距離を明らかにすることが大切です。
つまり「プロジェクトを観察・記述する」と同時に「自分を観察・記述する」ことが必要になるのです。

このスタディでは、2019年秋に東京で行われるアートプロジェクトを事例として取り上げ、参加者は「観察者・記述者」として現場に立ち会います。異なる背景を持つ参加者同士の視点を交換しながら、ひとりひとりが「東京でつくること」について考えていきます。

ナビゲーターメッセージはこちら

ナビゲーター

石神夏希劇作家/ペピン結構設計/NPO法人場所と物語 理事長/The CAVE 取締役

メンバー
  • 矢内純子(すーすー)Future botanist
  • 佐藤しずく大学生
  • タカノレイ会社員
  • 朝山紗季トーキョー・テンダー・テーブル株式会社 デザイナー
  • 中村須美子会社員
  • 今井亜子大学生
  • 富樫朱梨児童発達支援センター勤務
記録担当

高須賀真之書くひと

スタディマネージャー

嘉原妙アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー

記録の方針について

  • 活動日の様子は、音声、写真、動画撮影で記録。月に一度、約4時間ほど活動を行った。
  • 日々のやり取りは、メーリングリスト、LINEを利用して行う。
  • 記録係が毎回レポートを作成する。
  • 配布資料、ワークシート等は公開する(提供者からの確認が得られた範囲内で)。
  • スタディの活動日と活動日のあいだでは、参加者各自がエッセイの執筆や参加者限定公開のブログ(Tumbler)で執筆しているが、記録としては公開しない。
  • 参考図書、参考資料は基本的に公開する(ゲストの確認が得られた範囲内で)。
  • 共有会では、参加者が執筆した文章の抜粋を「朗読」し、ことばを声で届けるかたちで共有した。
  • 参加者が執筆したエッセイは、冊子としてまとめて発行し、PDFデータを公開する。

2019.8

8.24(土)

第1回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

からだとことばで、はじめまして

1/7

アートプロジェクトを「書く(記述する)」ことを通して、対象を記述するだけでなく、対象を「見つめている自分自身」を探っていく。最終目標は、一本のエッセイを書き上げること。まずは、ことばを用いない「からだの自己紹介」からスタート。相手との距離感や自分のなかにある感覚と向き合うワークショップに挑戦。ことばを使った自己紹介やインタビューでは、質問と回答を繰り返すことで、それぞれの問題意識を共有した。

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東京でつくる理由もつくらない理由もいくらでもあって、自分の個人の理由を問わなくても大きな理由に乗りかかってしまえばできてしまうという恐ろしさがあって、容易に飲み込まれてしまう・・・誰にも乗っ取られない理由を見つけないと。

最初に(東京に)来たときは、“なんてまっ黒なんだろう!”と思って(笑)。

書きたいっていう衝動はあるのに、うまくことばにできなかったり、逆にことばにしたら消えちゃいそうとか、ことばにしたらいけないんだろうな、ということと、どう向き合えばいいのか。

2019.9

9.4(水)

第2回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

何を書く?なぜ書く?

1/6

今回の目標は、エッセイを書くための「企画書」を作成すること。メンバーの組み合わせを変えながらグループディスカッションを行い、ひと(他者)と会話を重ねることで、それぞれが自分のなかの芯(=問い)に気づく。次に、質問形式の企画書(ワークシート)に回答を記入し企画を練っていく。企画発表では、どんな「問い」を立て活動するのか、各自の計画を説明。この日に立てた「問い」は、今後どんなかたちになるのだろうか。

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いまの自分のなかの軸――その場所に居るとか生きてるという実感になれたらいいなといまのところは思っています。

なぜわたしはこれが好きなのか、とか、目を離せないのか――それを思って、これからどこへ向かっていくのか。

やりたくないことをやらないためにどうするか。

9.7(土)

第3回

場所:豊島区雑司が谷

雑司が谷で過ごしてみる

1/7

豊島区の雑司が谷を探索。雑司が谷では、毎年10月16日~18日に、江戸時代から人々に親しまれ連綿と続いてきた「鬼子母神 御会式」が行われる。石神は東アジア文化都市2019のプログラムのひとつ「Oeshiki Project」を立ち上げ、ツアーパフォーマンス≪BEAT≫を御会式と同時期に開催する。≪BEAT≫にはメンバーも参加するので、一度まちを歩き、どんな<まち>でどんな<アートプロジェクト>が行われるのかの手掛かりを発見するのが今回の目的だ。

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お祭りにはその場のそれぞれの“居かた”があって、何かが許されている状態がある気がする。

ふと、写真を撮りたくなる気持ちが、ここに住んでみたい、という気持ちに変わっているような気がした。「東京でつくるということ」を考えるためには、東京で住んでみたい街 を見つけることが、最初の一歩なのかもしれない。

ちょうど上京したての頃に、同じ曲を聴いていた。独り立ち……でっかいことしてやろうとまでは思えなかったけれど、それでも、自分にだって何かあるんじゃあないかって。思ってた頃もありました。ああいうのを夢とかって言うんだろうか。ふわっ!と、当時の感覚が襲い、身動きが取れなくなる。

2019.10

10.3(木)

第4回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

他者とことばを共有する

1/3

この日は番外編としてメンバーだけで集まり、「進捗共有会」を実施。メンバーそれぞれがいま抱えている問題意識やリサーチの状況を順番に報告。フィードバックするなかで、今後どのように書いていくか/ことばを重ねていくかという話題が出た。ことばとの距離の取り方はさまざまだが、スタディマネージャーの嘉原から「なにか他者と共有できるようなかたち、フックとなるようなことばが必要なのでは」という意見も。

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いま現在の東京を捉えることによって、今後未来に、誰に、どういうことを残せるのか。

そういうもので、俺たちはつくられていくんじゃないの? もう先人たちがとっくに考え抜いたありきたりな思想でも、それを自分で考えて拙いなりに何かに辿り着くこととか、そこまでに他人とことばを交わしていくこととか。

物事の速度を自分のからだの感覚で数えたりとかはできないか。

2019.10.16(水)-18(金)

同時期に展開された石神夏希のプロジェクト

Oeshiki Project ツアーパフォーマンス 《BEAT》

江戸時代から続く雑司ヶ谷地域で続く行事「鬼子母神 御会式」に合わせて行われたツアーパフォーマンス。
石神夏希が、中国出身のアーティスト・シャオクゥ×ツゥハン、音楽プロデューサー・清宮陵一ら、それから地域に暮らす人々とともに展開した。

プログラム詳細はこちら
Oeshiki Project ツアーパフォーマンス 《BEAT》

撮影=鈴木竜一朗

10.26(土)

第5回

場所:アーツカウンシル東京

体験からアートプロジェクトを考える

1/3

ナビゲーターの石神がかかわるアートプロジェクト、Oeshiki Project≪BEAT≫を挟んで行われた第5回スタディ。この日の前半は、≪BEAT≫に参加したメンバーの感想をシェアすることからはじめた。実際にプロジェクトに参加することで感じた印象は人それぞれ。プロジェクトの受け手、つくり手、プロジェクトを取りまく人々…さまざまな立場の人々と自分との距離感も話題となった。

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共に時間を共有することは、時間はかかるし手間もかかるけれど、そうじゃないと出会えない。

想定すること自体が何かを閉じ込めてしまうことはあると思う。

御会式に最後合流することで一体感を簡単に感じないでほしいと思った。…お祭りとか流行ってるけど、それってすごくさみしさが募るなと思っていて…お祭りに参加することってなんかたのしいのかな?というか、そういうふうにしては埋まらないさみしさをみることをしないで踊りの輪に飛び込むのはつらいなと思って。さみしいけど太鼓叩いてるなとか、太鼓叩いたけれどさみしいなとか、あのひとも叩いてるなって思うとか、そういうものになればいいなと思う。

自分の頭とか自分の世界だけのものって通用しない、そこだけじゃ完結できない。

2019.11.10(日)

3つのスタディ参加者が集まり、活動を共有する会

「東京プロジェクトスタディ」共有会1

8月からスタディ1も含め3つのスタディが始動し、28名の参加者たちが各々ナビゲーターと共に活動を開始してきた。共有会1では、半年間の折り返しとなるこのタイミングで、参加者が初めて一堂に会した。各スタディの進捗共有や参加者同士の交流を行った。

撮影=齋藤彰英

2019.11

11.23(土)

第6回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

まちは、東京は、だれのもの?

1/5

この日は、ゲストとして韓亜由美さん(アーバニスト)をお招きした。韓さんの活動には、まちや個人がどのようにかかわり合い、つながっていけるのか、そういったアイディアが詰まっている。メンバーのなかからも、共感や、新たな気づきが生まれた。後半は、メンバーが執筆したエッセイ(第一稿)を読みながら、それぞれ率直にフィードバックを行いあった。

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<まちがひとを育てる><ひとはまちに育てられる>ということもあるし、<ひとがまちをつくる>でもある。

自分を否定しちゃいけないし、自分の人生を生きないとつまらない。

人間の多様性が発揮されてはじめて世のなかは楽しくなるし、豊かになる。

2019.12

12.7(土)

第7回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

東京でつくってきた人のお話を聞く

1/7

この日は熊倉敬聡さんと長島確さんをゲストにお招きし、前半はお二人のお話を伺うところからはじめた。まちを転々としながら40年ほど東京に住みつづけ、いまは京都に在住されている熊倉さん。三田のまちなかで7年ほど運営していた「三田の家」のお話などを伺った。さまざまなアートプロジェクトや演劇作品にかかわられてきた長島さんからは、現在かかわられている「フェスティバル/トーキョー」を中心に、プロジェクトにかかわりながら考えていることをお聞きした。

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毎日だれかに会って、インプットをして、それでも一日を終えて、自分に戻る時間、みたいなものが電車のなかにある。

東京で生まれて東京で育って、東京が好きなので、汚いと言われてもムッとするし、あたらしいものが建ったりする方が良いっていうのにも抵抗感もあるし、(東京に)来てもいいけど大事に使ってね、という思いがこどもの頃からいつもあったのかな。

アートは付加価値をつけることであるものや地域を変質させるけど、全部が良いかというと功罪は必ずある。その感覚を失うととんでもないことになる。

2020.1

1.11(土)

第8回

アーツカウンシル東京

最後の活動日、それから

1/4

いよいよスタディ1最後の活動日。これまでのスタディを経て書き上がった各メンバーの最終エッセイをじっくりと読む時間を取り、フィードバックを行った。最初のエッセイから大きく書き方が変わったひと、書き方を踏襲しながらことばを掘り進めていったひと、対話の形式や詩のような書き方で書いたひと。それぞれの「核」(「書く」という行為)を掘り下げながら、自由にことばを紡いでいた。

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私は東京を、他人事にして通り過ぎたくなかった。このまちに対して私や誰かが感じている疎外感を、そのままにしたくなかった。

「東京でつくる」ということに意味を見出すのか、可能性を求めるのか。なにを探すのか、なぜ作るのか。」

1.19(日)

共有会

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

互いのことばを朗読しあう

1/5

東京プロジェクトスタディ全体の共有会。3つのスタディが集まり、この半年間実践してきたことを報告し合った。スタディ1は、各メンバーが執筆したエッセイを抜粋し、執筆者以外のメンバーが朗読することで、メンバーそれぞれの「東京でつくる」という個人的な試行錯誤の過程を分かち合い、支え合ってきたスタディ1の様子を表現してみるというパフォーマンスを行った。

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プロジェクトとしてのスタディ、参加されていた方々のスタディ、そして、自分自身のスタディ、それぞれが現在進行形で続いていて。

スタディは終わりませんね。

昨年の冊子は、5年後、10年後に自分たち自身で読み返せるように、と作ったものでしたね。
5年といわず、折に触れて振り返ることで、現在地を確認する道標のようなものになれば、嬉しいです。

2020.1.22(土)

メンバーにより行われた自主的な活動

サロンドタカスカ

2019年度スタディ1の記録係を務めた高須賀真之がホスト役となり行われたプログラム。墨田区の商店街などをめぐるフィールドワークを行った。メンバーと共に、夜の東京をひっそりと歩いた。

その後の活動

2020.3

3.23(月)

『続・東京でつくるということ』完成!

1/1

参加者一人ひとりが「東京でつくる」を巡ってテーマを決め、半年間かけて執筆した一人1本ずつのエッセイ。その渾身のエッセイとスタディ1の活動記録をまとめた冊子が完成!

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東京彫刻計画

2027年ミュンスターへの旅

街には彫刻があります。銅像・パブリックアート・モニュメント…。しかし、とりわけ東京だと普段は見逃しがちなものです。確かにそこにあるのだけれど、無意識に、見ていない状態。その理由は、東京という街と私たちとの独特な関係性にあるように思います。言い換えると、公共彫刻には、私たちが街と接する(またはしない)ためのヒントがあるのではないでしょうか。

そこでこのスタディでは、「『東京彫刻計画』という芸術祭が、10年に1度東京で行われている」というフィクションをつかって、私たちの周りにあるさまざまな彫刻をリサーチします。大きな時間の流れの中で街を見ていくとき、街と作品と私たちの関係はどのように浮かび上がってくるでしょうか。そしてあらためて今、どのような関係がありうるでしょうか。

この問いは、私たちの東京での感覚やからだの在りかたを考えることにもつながります。傍らでは「ミュンスター彫刻プロジェクト」(※)の変化を参照しつつ、パフォーマンスの視点から公共彫刻を探ります。最終的にはリサーチをふまえた小規模の作品創作を目指します。

(※)ドイツ北西部の都市・ミュンスターで1977年から10年おきに開催されている芸術祭。

ナビゲーターメッセージはこちら

ナビゲーター

居間 theaterパフォーマンスプロジェクト

佐藤慎也プロジェクト構造設計/建築家/日本大学理工学部建築学科教授

メンバー
  • 碓氷光会社員
  • 壁井美佑紀学生(写真)
  • 清田菜央大学生・アートマネジメント
  • 酒井七瀬大学生(建築学)
  • 鈴木ひな大学生(美術教育)
  • 成澤茉由大学生(建築学)
  • 藤城滉俊大学生(建築学)
  • 松野麗大学院生(建築)
記録担当

加藤甫写真家

堀切梨奈子日本大学助手

西島慧子
研究者/アートマネージャー

スタディ―マネージャー

坂本有理アーツカウンシル東京プログラムオフィサー/「思考と技術と対話の学校」校長

記録の方針について

  • 毎回の記録は、写真・音声で行う。
  • 記録係が毎回レポートを作成する。
  • リサーチ関係の資料等は、提供者からの承認が得られた範囲で公開する。
  • 毎回の議事録(ノート)は、休んでいた友達に授業中のノートをみせてあげるような感じでまとめる。チーム内での共有とし、公開はしない。
  • スタディの活動日と活動日のあいだには、LINE上でさまざまなやり取りが行われているが、記録としては公開しない。
  • 参考図書は基本的に公開する(図書紹介者の確認が得られた範囲内で)。
  • 試演会は半年間の歩みをパフォーマンス仕立てで実施した。記録動画全編は公開しないが、関連資料は公開する。

2019.5

8.4(日)

第1回

場所:日本大学理工学部~お茶の水周辺

はじめましてと、紆余曲折した昨年のこと

1/7

初回は、参加メンバーのバックグラウンドや活動の紹介に始まり、昨年の東京プロジェクトスタディ2の活動を振り返る時間になった。 特に、居間 theaterの活動や考え方に触れ、そもそもなぜ2027年のミュンスター彫刻プロジェクトを見据えているのかや、昨年の活動の変遷、紆余曲折してフィクション『東京彫刻計画』に至った流れなどを共有。そしてディスカッション後は、お茶の水周辺の彫刻をめぐるフィールドワークを行った。

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10年ごとに時代を追ってみていくと、作品の傾向が変わっていっているくことがよく分かった。「彫刻プロジェクト」という名称の中で、幅広い表現がされていることが面白い。

いわゆる「彫刻」から彫刻の概念が拡張されていることを再認識!

去年は、東京の彫刻を見に行ってみよう、というフィールドワークに「東京彫刻計画」というフィクションを重ねることで、彫刻の変化が見えてくるのではないかと考えた。

時代によって、彫刻とまちとの関係にも違いがあるみたい。

今年は最終的に、ミュンスター彫刻プロジェクト、芸術祭、東京、公共、彫刻をキーワードに、作品をつくりたい。

「彫刻が面白い!」という気持ちのスイッチが入ると、まちなかの彫刻が気になってくる。

9.11(水)

第2回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

東京における“劇場外の演劇”について

1/3

ナビゲーターたちが2017年に訪れたミュンスター彫刻プロジェクトにパフォーマンス形式の作品が出品されていたように、パフォーマンスが当たり前に美術の文脈に入ってきており、芸術祭ではモノを置くよりも、そこで起きる出来事を作品と呼ぶようになってきてもいる。演劇という文脈から“まちに作品を存在させる事例”を見ることで、今後のヒントを探った。

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劇場でやることが選択肢のひとつに過ぎなくなっているのだと思う。

アングラ演劇の時代は、まち自体に抜け道があったけど、今、作品をつくろうと思ったとき、法律も、人も、お金の出所も変わっていて、まったく同じことはできない。

最近の事例は、「劇場をどうつくるか」を考える時に「舞台をつくる」のではなく、「観客がどう体験するか」ということから考えている。美術の文脈で70年代から言われる「サイトスペシフィック」という言葉にも似た考え方をしているのではないか。

今回調べてみて、「美術のパフォーマンス」と「演劇のパフォーマンス」は同じではないと感じた。「演劇」は人がやっている。やる人がいて、見に来る人がいる。だれかしらが、時間を使わなければいけない。

対して、「美術」の人はどんな風にパフォーマンスをやっているのだろう。

会期や上演時間という「時間」の概念があると思う。公共彫刻は会期無制限。時間無制限のアートプロジェクトをつくると、彫刻に近づけるのかもしれない。

劇場は時間に縛られていて、時間があるからこそ、パフォーマンスができると思う。公共彫刻は逆。

9.29(日)

第3回

場所:上野~ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

美術におけるパフォーマンスについて

1/6

美術的な視点からパフォーマンスを考えるために、美術の文脈において展開されたパフォーマンスの映像や写真、美術とパフォーマンスに関連するキーワードや文章を参照するとともに、参加型作品などについて話し合った。演劇と美術のパフォーマンスの違いは何なのか、今後のヒントを探った。

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居間 theaterでは、作品を目当てで来るお客さんだけでなく、そのまちに生活する人たちと共存しながら、どう作品を制作し、上演することができるかを考えている。

演劇的な時間には、始まりと終わりがある。

モノ的な作品からコト的な作品をつくることへ作品の在り方が拡がっているが、そこには異なる技術が必要ではないか。

作品のアウトプットの形態が美術的か演劇的なのか、どこに境目があるなのかな。どういうバックグラウンドがあって、その文脈の中でどう作品を発表するのか、という位置づけの問題?ヨーゼフ・ボイスは、もともと彫刻の教育を受けていて初期には物体(モノ)の作品を作っている。グザヴィエは、バックグラウンドにダンス(身体表現)があるので、その上でいかに美術館でやるのか考えているように感じる。

美術は「本物」だから実物が保管されうる。一方で、演劇は舞台上で「本物に見えること」が必要。美術においてダンスなどのパフォーマンスが好まれるのは、ダンスが「本物」だからなのでは。

演劇は再生産し続けるもの。演劇は、ギリシャ悲劇から始まり途中衰退するが、アラブ人が戯曲を見つけて、今、再演できている。

この本ではパフォーマンスを「I(私自身が作品になる)」「 We(私たち、関係性が作品になる)」「It( 自分が彫刻になる)」の3つに分けて紹介している。ダンスはI?演劇We?

突然性やライブ性のあるものに対して、すぐに文脈を捉えることは難しいけれど、文脈を担保出来るのか、という点が美術的な感覚のような気がする。

美術系のパフォーマンスの時間は平均化された感じがするのは同感。平均的に見ざるを得ない作品が多いし、平均化してみることが面白い。彫刻も、長い時間で平均化されていると捉えることができる?

フィールドワークで見た彫刻の中にも、概念や出来事を形にしているものがあった。彫刻は、時間を飛び越えて、そのまま存在できることが特殊。

リレーショナルアートや参加型アートをいいなと思っていたけど、必ずしも参加型にすることが良いのではなく、そこに関わるそれぞれの人の立場から考えた方がいいのだと思った。

2019年10月6日(日)

活動日から派生した集い

「お茶会とフィールドワーク」

スタディ3回分を振り返るお茶会を開催。話はメンバーの興味関心からさまざまなトピックへ。例えば、アートイベント参加者に写真だけ撮ってすぐ去る人がいるという話題。「鑑賞の仕方について」「作品に参加するとは?」という問いに広がり、芸術祭の回り方とポケモンGoには、スタンプラリー的なコンプリート欲を掻き立てる共通点があるのではという発見に至った。また、謎解きゲーム、リアル脱出ゲームなど、参加型エンタメの脚本と構造が気になる、といった意見も。最後は、ナビゲーターが観た大塚美術館の展示について。この美術館は展示品がすべて精巧なレプリカであり、写真で撮影すると本物との違いがわからない。美術における「本物である」ことの意味について話題が広がった。その後みなでフェスティバル/トーキョー19『移動祝祭商店街』を目指し大塚へ移動した。

10.21(月)

第4回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

ストリートアートから考える“公共空間”

1/6

毛利嘉孝さん(東京藝術大学教授・社会学者)をゲストに招き、東京の防潮扉でみつかった「バンクシーの作品らしきネズミの絵」をきっかけとしたストリートアートに関する話から、“公共空間”について思いをめぐらせるようなレクチャーをしていただいた。バンクシーの活動の変遷を事細かに学ぶと同時に、日本的な公共の捉え方や、西洋との違いを認識する時間となった。

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落書きが少なくてきれいなまちであることを手放しに喜んでよいのだろうか。知らない間にみんなが支配者の美学を内面化している。

「公共=みんな」という変な平等性に意識が向いているのではないか。

グラフィティは、都市文化に対する介入という側面と、黒人の新しい文化運動という側面がある。住人ではなく所有者によってまちの風景が作られていることに対する、住人たちからの問題提起。公的な空間に黒人たちが関与していないことに対する、問題提起。

「第21条表現の自由」と「第29条財産権」。ふたつの権利にヒエラルキーはないが、日本では、財産権が何にも増して守られている。

住んでいる人たちが見たいものを描くことからはじまった作品の事例が、日本ではあまりないと思った。公共施設などは、”税金で作られるもの”という言い方では住人たちのためなのかもしれないけれど、”個人の所有物の集まり”という意味での住人という意識は弱い。

伊勢神宮の遷宮に見られるように、建物自体が建て替わっても何かが残る感覚なのでは。

みんなのものと主張するとき、その主張している人自身は「みんな」に入っていないんじゃないかと思うときがある。仮定の誰か、としてのみんな。

グラフィティは上描きできるけど、彫刻は消せない。破壊するしかないので、バトルができない。

日本の集団意識ってどこから生まれたのだろう。「みんながそうしてるから、私も」と考える人が多い気がする。

日本では文化的イノベーションが起きにくい構造になっていることも事実だと思う。一番面白いものは、ルールのないところで生まれてきた。コミケやN次創作など、日本は、グレーゾーンが上手く使われてきたと思う。

10.26(土)

第5回

場所:小田原

ティノ・セーガルのパフォーマンス見学!

1/7
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
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ティノ・セーガルのパフォーマンスを見学するため、杉本博司氏によって作られた小田原の江之浦測候所へ。ティノ・セーガルによる“ある指示”に基づいて動く「インタープリター」と呼ばれるパフォーマーによる「ライブワーク」を体験した。 これまでのスタディでは、写真や映像を通してパフォーマンスを辿ったが、今回実際にパフォーマンスを目撃することができ、そこに流れる時間や環境、雰囲気など含めパフォーマンスがおりなす表現にふれることができた1日になった。

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インタープリターが見ている人たち全員にお茶を持ってきてくれた。

インタープリターは遠くで見ている人も意識してパーフォーマンスしていたよね。

ティノ・セーガルはどう作品を売るのだろう?作品制作の、領収書もメモも残さないらしい。

(岡山芸術交流2019でもティノ・セーガルのパフォーマンスを見たが)同じものだけど場所が違うとこんなに違うんだと思った。

みんなティノ・セーガルを目掛けて江之浦測候所に行くのかなと思ったけど、そういうわけではなくて人がまばらだった。散らばり感がちょうどよかった。

(江之浦測候所でのティノ・セーガル作品の扱いが)目玉という感じではなかったのが意外。ちなみにこういうのもやってます。お時間あればどうぞ、という程度の案内。チラシもないのが不思議。

これは委任されたパフォーマンスなのか?パフォーマーはあきらかに特殊な技術をもっている。

委任されたパフォーマンスはアーティスト本人が作品に出ないことを問題点として挙げているけど、演劇では、演出家も俳優も、劇団全員がアーティストってことでいいのかな?

美術でも、巨大な彫刻をアーティストが助手や社員さんと一緒に、大人数でつくっている事例もあるはず。ロダンも助手のカミーユさんと一緒につくっていたらしいし。

2019.11.10(日)

3つのスタディ参加者が集まり、活動を共有する会

「東京プロジェクトスタディ」共有会1

8月からスタディ2も含め3つのスタディが始動し、28名の参加者たちが各々ナビゲーターと共に活動を開始してきた。共有会1では、半年間の折り返しとなるこのタイミングで、参加者が初めて一堂に会した。各スタディの進捗共有や参加者同士の交流を行った。

撮影=齋藤彰英

11.13(水)

第6回

折り返し地点で、半年を振り返る

1/5

今年のスタディも折り返し地点。今後は来年3月に向けて“何か”をつくっていく予定だ。今回はこれまでの振り返りも兼ね、それぞれがパッと思い浮かべたテーマを書いた紙を、くじ引きのように選びながら、答えを導こうとするわけでもなく、みんなで話した。話のきっかけとなるテーマはさまざまだったが、半年間、東京、彫刻、パフォーマンス、公共といったことをみんなで考えてきたことを感じる時間となった。

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野外彫刻は、石碑ほど長くはないけれど、長い時間存在し続けることを前提としている。ティノ・セーガルは、その場にいた人との空間にしか存在しない。

長回しの映画が増えている。長回しみたいなのを、演劇でやったら、小説でやったらどうなるか、とかも思う。

ライブ性は、物理的距離に比例するのか。

「日本は」ではなく「東京が特別特殊だ」と思った方がいい。税金の使われ方のライブ性が、東京は複雑化していて、存在しないんだと思う。東京は、永続的に工事をしていて、上演時間が連続しすぎていて、現象化しているから、ライブ性がないのかも。

委任されたパフォーマンス。スカイプで振り付けはできるか。《弓を引くヘラクレス》は世界中で見られる。島国で、飛行機に乗らない文化になって、作家が来なくなっても、見るチャンスがひらける。

建物は石で、展示物もモノだけど、ポール・チャンの作品は不定形でぐにゃぐにゃしていて、生々しかった。プログラミングされてるんじゃなく、上演時間とかはなく、絶対に止まらないのが、印象的だった。

「公」は分断してると思った。バンクシーの話のときの、ふたつの権利が対立するとか。日本と他の国の公の考え方は多分違うけれど、日本の考え方が悪いとも思わない。今年は、公と私の違いを感じることが多かった。

平等に与えられている権利を自分で取らなかっただけなのに、そこに不平等を感じるのはちぐはぐ。平等な仕組みにしたら、不平等だ、と言われるようになってきてしまっている。わざと平均化して平等にするシステムが、合わなくなってきているような気がする。

イリーガルな人も、本当に迷惑なところには描かないという話がクールだった。プロフェッショナルの暗黙知として、そういう風にアートを置いていくことは、まちとの関係がクリエイティブ。

大都市に近い方が投票率は低くて、遠い方が投票率は高い。地元では、行政にお金がなくて、「公共を私たちが使っている」という認識がすごく強い。感覚や産業の水準も違う。税金の使い道がわかっている。

東京が工事だらけになったのは、最近のことなのかも。劣化が進んでいるのかも。

1年目は、東京の彫刻を調べた。2年目は、東京の道路工事を彫刻的パフォーマンスとして見出した結果、見えてくること。工事の見方を発見しよう。

11.30(土)

第7回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

“工事”についての自由なリサーチ

1/5

前回のスタディで東京の工事をパフォーマンスとして見ることはできないか、と考えたことをきっかけに、各々がリサーチしてきた工事の報告を行った。仮囲いの掲示、工事情報マップ、重機、手作業の痕跡…さまざまな視点によるリサーチだ。工事で着目すべきはプロセス、人、できたモノ…どれなのか。鑑賞すべきは目の前の工事なのか、工事という大きな現象なのか。リサーチしたことをどのように鑑賞に結びつけていくのかについて考えた。

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どうしたら工事が上演になるか。工事として見ると工事だけれど、妄想を重ねるとよいかもしれない。

東京彫刻計画アンダーグラウンド…?

見えていない部分で工事が行われているから、周囲の人が気づかない。ライフラインは私たちが所有しているけれど、所有者には見えない構造になっている。所有を不在にさせている。どうすれば、見る行為につながるか。

何かはじまるのを待って、2時間くらい見ていた。けれども、工事ははじまらず、金曜の夜の、まちと人間模様がすごくて、自分だけ浮いているみたいな気持ちだった。時間の流れや空間が、ストリートを歩いている人たちとはリンクしていないのが面白い。

今日から横浜と新宿がつながった。横浜駅の工事がなぜ終わらないのかは、わからない。

工事そのものを見ることがゴールなのか、工事が上演されていることをヒントに何かを立ち上げるのか。工事単体を見ることと、引いた目で工事という現象を見ることは違う。いろんな場所で工事は続けられている。都市だから、完成することはない。

工事現場、近づいたら危ないと思っている。警備のおじさんも、都市から切り離されているような感じがする。違う次元で世界がある。

実際にあるモノを観察することと、そこから東京全体を想像することを、共存させて比較するようなしかけが、長期のスパンでつくられるとよさそう。

12.4(水)

第8回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

“アンダーグラウンド”に思いをはせる

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今回も引き続き工事リサーチ報告。基本的に迷惑工事と捉えられる下水道工事のイメージアップと必要性を訴えるためのコンクールや、作業員が安全のために行うパーグー運動など、色々な工事の世界に触れた。加えて空想地図作家の地理人さんを招き、ざっくばらんにアンダーグラウンドに関するトーク。大深度地下、ロシアの地下鉄、南北線のふれあいコーナーなどのトピックをめぐりながら、地下の公共性についても考えた。

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工事のときめきを感じるところってどこだろう。

工事を探すだけでなく、台本みたいなものをみつけてこよう。

アンダーグラウンドの彫刻が、オングラウンドにパフォーマンスとして出てきているのが面白い。

公共とそうでないものの境目は、人によって認識が違うと思う。駅は民営だけど公共空間と考えている人もいる。

どの道路にも、電気、ガス、水道はだいたいある。道路にはセットでアンダーグラウンドがついてくる。道路は、線的につながる公共用地として貴重。

12.22(日)

第9回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

パフォーマンスにおけるフェアトレード

1/4

リサーチしていくうちに感じた「税金でみんなのものをつくる公共がある一方、警備員さんが優しく対応してくれることも公共。私たちは今回の作品の、どこで公共をするのだろう」という疑問や、「工事現場にパフォーマンスを委任すると、搾取が起きてしまわないか。“フェアトレード”は何に当たるのか。共同作業と搾取の境界線は何だろう」という言葉を皮切りに、今回の作品制作におけるスタンスについて話し合った。

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「ご迷惑をおかけします」の表示に見えるように、工事をやっている側も自分たちも、迷惑だと思っている。工事をやっていること自体は、迷惑じゃなくて、自分たちの生活に欠かせないものなんだけど、工事の腰が低すぎる。

工事現場を搾取していないか。本物を扱えば扱うほど、本物の人に対する搾取みたいなことが起きる。そこを乗り越えたい。工事が終わった状況を見せると美術っぽくなるが、パフォーマンスっぽくない。

何が搾取で、何が共同作業なのか。

フェアトレードが何を意味するかはわからないけれど、工事現場とのフェアトレードの落としどころをどこにするのか、考えた方がよい。

道路を見ること自体に搾取はなく、道路を見ることにアートの見立てを重ねることが搾取なのでは。

工事現場を搾取していないか。本物を扱えば扱うほど、本物の人に対する搾取みたいなことが起きる。工事現場を搾取していないか。そこを乗り越えたい。工事が終わった状況を見せると美術っぽくなるが、パフォーマンスっぽくない。

我々が真似しようと思っても難しいと思った。あそこには、コンストラクションランドが完成している。

公共性はどこに感じられるのか。どんな公共をするのか。みんなが使うものをみんなのお金で作る公共なんだけど、警備員さんが優しく対応してくれることは、違う意味での公共なんだと思った。

上手にやろうとするのではなく、テンションやモチベーションがそれぞれに必要。個人的なモチベーションを忘れたくないし、それぞれに持っていてほしい。みんなが何を面白いのかわかると、相対的に自分が面白いものもはっきりしていく。

演劇的な特技のひとつは、フィクション(嘘)を使うということ。もともと何もないところに、人の想像力に働きかけて上演を立ち上げる。その「フィクションを使う」技を現実にスライドした時にも、今までは見えていなかったことが見えたり、分かる瞬間がある。

1.18(土)

第10回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

考えていることの作品化に向けて

1/5

年が明け、年度末の試演会に向けて考えてきたことをまとめる時期に。昨年度のアウトプットは「スタディのプロセスを共有」するものであったのに対し、今年度は「考えていることの作品化」に挑戦することになった。これまでの流れを、6つのキーワード「ミュンスター・彫刻・公共・パフォーマンス・東京・工事」を用いて客観的に振り返ったり、記録を読み返しながら各回の詳細な内容を消化することで、作品制作の手がかりを探した。

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工事現場を面白おかしく見立てるのではなく、距離をとって見たほうがよいので、レクチャーパフォーマンスという形式にしたい。

なにかを見せるための手段として“パフォーマンス“を使うのではなく、“パフォーマンス”そのものを“公共・彫刻・東京”などのキーワードと同じように考えることができないか。

工事現場は東京であり彫刻であり公共でありパフォーマンスなんです。

演劇と美術をひとくくりにパフォーマンスと言うのは難しい。

法的な規制ではなく道徳的な規制ってどういうことですか?

プライベートなことが公共の場に出てくることに拒否反応があるのかな。

演劇側から見ていくと、委任されたパフォーマンスは必ずしも否定的ではないのでは。

美術では、一人のカリスマ(=アーティスト)が作品をつくる時代から、人や社会を巻き込み作品をつくる時代に変化したことで“委任されたパフォーマンス”という考え方が生まれたが、演劇は常に集団創作であり、誰かと一緒につくっている?

作品の強度は“重心”と捉えられないか。面白い作品やアートプロジェクトにはどこかにちゃんと"重心"がある気がする。

試演会で行おうとしている“パフォーマンス”は演劇的なもので、そこで主題として扱おうとしている“パフォーマンス”は美術的。ふたつの異なる“パフォーマンス”を包み込むような概念がみつかれば、それが強度になるのでは。

2.2(日)

クリエイション

場所:都内各地の工事現場、日本大学理工学部など

“形式”を重ねてアイデアを作品に

1/5

試演会に向けたクリエイションが2月に行われた。これまでのスタディを振り返り出てきた作品のためのアイデアに対し、ナビゲーターからはさまざまな“形式”が投げかけられた。いくつかの“形式”を作品づくりの手がかりとすることで、アイデアはより具体的になり、手法が検討しやすく、メンバー間で共有しやすいものになっていった。また、小屋入りしてからは客席の位置決め、音や光などの環境づくりなど、本番直前まで準備はつづいた。

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スタディでたどり着いた「工事」を出発点に、やってみたいことやアイデアがあれば教えてほしい。

工事、という言葉のイメージだけだととっつきづらくても、工事現場のカッコイイ写真を通してみると、イメージが変わるかもしれないと思っている。

パフォーマンスをみんなでしたい。踊りたい。

ボリウッド風というのはどう?

2020年のオリンピックに向けて全力で、素直に、ワクワクすることが、公共工事に対する恩返しだと思う。

路上にある工事現場に出会って、観察する、という時間の流れ方が面白い。美術館にいく感覚と似ている。

こういうことを表現するにはどういうメディアが面白いのかな。

そのテキストは誰の目線で書いてるの?

それぞれの作品を捉え直すと「工事を見る、という行為そのものを作品化したもの」「工事を見ることで得た気づきを取り上げたもの」「工事を題材にした二次創作のようなもの」「工事自体がすでに面白いものとして、その面白さを共有するもの」などがあるのでは。

みなさん、この「振り」覚えてきてくださいね〜!

3.1(日)

試演会

場所:エキラボniri

試演会『WORK IN PROGRESS』

1/7

西日暮里駅高架下の小さなイベントスペースで、今年度の締めくくりとなる試演会(※)が行われた。全体はラジオの公開収録仕立てとなっており、2月にクリエイションした作品たちはラジオのコーナーとして次々に登場した。それらは一見すると別々の作品であるが、時間が進むにつれ、作品同士や東京というまちと重なる部分が見えてきて、東京、公共、彫刻、パフォーマンス、工事などについての思考が浮かび上がるような上演となった。 (※)新型コロナウイルスの影響により、一般公開を中止し、内部関係者のみで行った。

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その後の活動

2020.7

7.8(水)

「トーキョー・スカルプチャー・プロジェクト」スタート!

1/1

3年目を迎えたスタディ2。2020年度は、実際に手や頭や身体を動かして作品を「つくる」ことをナビゲーターやゲストと一緒にやってみることに挑戦。「パフォーマンス」という視点を持ちながら、小さい何かをかたちにすることから始めていく。

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‘Home’ in Tokyo

確かさと不確かさの間で生き抜く

「ここは自分の‘Home’だ」という感覚は、何によってもたらされているのでしょうか。
それは、他者や生き物やモノとかかわりながら暮らしを営むなかで、芽生えるものかもしれません。
一方で、関係性の変化や予期せぬ出来事によって、その感覚が失われることもありえます。
そのように考えると、「自分の‘Home’」という感覚は、確かさと不確かさの間で揺れ動く、変化と可能性に満ちたものと言えます。

東京は、全国のなかで最も移動者数が多い流動的な都市です。進学、家族の事情、仕事、災害など、多様な理由により東京で暮らす人がいます。彼/彼女にとって、‘Home’とはどのような意味で、何によって成り立っているのでしょうか。さまざまな環境や条件のなか、自分の‘Home’と感じられる工夫をして生き抜く人々の日々の実践に着目します。このスタディでは、自分や他者にとっての‘Home’のありようを理解するための態度や方法を学び、映像作品(プロトタイプ)をつくります。

ナビゲーターメッセージはこちら

ナビゲーター

大橋香奈映像エスノグラファー

メンバー
  • 小池理奈大学生
  • 小島和子編集者
  • 神野真実デザインリサーチャー
  • 髙山伸夫編集者・ライター・会社役員
  • 田中翔貴建築士
  • 鄭禹晨翻訳者・編集者
  • 西井彩大学院生
  • 橋本隆史会社員・デザイナー
  • 橋本晴加農家の孫娘(家出中)
  • 初田美紀子家族の絆を謳う臨床心理士
  • Pitcha Suphantarida大学生
  • 牧野岳大学生(社会学)
  • 松尾葉奈大学生
記録メンバー

ジョイス・ラムエディター

染谷めい大学生

廣瀬花衣大学院生

森部綾子大学院生

スタディマネージャー

上地里佳アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー

記録の方針について

  • 毎回の記録は、写真・音声・動画撮影で行い、記録メンバーが毎回レポートを作成する。
  • 記録メンバーは、活動日のレポートを作成するスタッフ、ナビゲーターや参加者の思考の移り変わりを編集的な視点から記録するスタッフ、という体制で進める。
  • 参加者自身がスタディについて記録するために、非公開であることを前提に、一人一冊ずつ記録ノートを支給する。
  • 毎回の活動日の最後に「リフレクションカード」の記入を行い、活動のプロセス資料として公開する。
  • 日々のやりとりは、主に「Slack」を活用する。チャンネルとしては、「#返事して」「#読むだけ」「#参考資料」「#random」「#自己紹介」を設定する。その後は活動の進行状況に応じて、適宜チャンネルを追加する。

2019.8

8.17(土)

第1回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

‘Home’ in Tokyo に取り組むために

1/5

「東京を舞台とした‘Home’のとらえ方を模索することで、東京の姿を浮き彫りにする」ことを目指し、プロトタイプの映像制作に取り組む。初回は、ナビゲーターの大橋香奈が制作した『移動する「家族」』を上映。この作品は、国境を越えてつながる5人の「家族」のあり方を調査し、ぞれぞれの独立したストーリーを束ねたオムニバス映像だ。調査者と調査協力者の協働的な関係のなかで、彼や彼女が生きる現実を解釈し映像作品をつくる映像エスノグラフィーの手法に触れた。

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私には唯一の‘Home’と呼べるような場所がありません。

‘Home’という感覚は何によってもたらされているのか?

家族は、自分が許せない自分のことを許してくれる存在です。

8.31(土)

第2回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

調査協力者との関係を考える

1/5

映画『キッチン・ストーリー』を鑑賞し、調査者と調査協力者との交流や現場へのかかわり方を学ぶ。慶應義塾大学・加藤文俊先生は、フィールドワークを行う上での視点についてレクチャー。調査者が現場にかかわる際、傍観的な立場を前提とする場合が多いが、実際は調査協力者との関係に変化が生まれていく。協働的なアプローチで関係を豊かにしていくのが大切だと語った。

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現場で感じる‘ざわつき’を大切にしたい。当たり前だと思っていたことが違うと思うとき。それが新しい視点と見方を獲得するきっかけになる。

調査者が調査に入った時点で、調査協力者の‘ふつう’の生活は‘ふつう’ではなくなってしまう。

計画通りではないおもしろいハプニングを、いかにおもしろがれるのかが、フィールドワークでの重要な心持ち。

2019.9

9.7(土)

第3回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

被災地における‘Home’のあり方

1/5

前半は何本かの映像作品を鑑賞、後半は法政大学・岩佐明彦先生のレクチャー。前半では、制作事例を通して、表現方法の可能性や‘Home’の感覚をもたらすものは何かを探った。岩佐先生は「被災地と仮の住まい」というテーマで、「応急仮設住宅は‘Home’となりうるか」と問いを立て、人々の生活の工夫に関する研究を紹介。工夫のノウハウを共有する試みを続けるなかで、「知恵の提供」から「知恵を共有する方法の提供」へと研究テーマが変わっていった過程をお話いただいた。

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仮の住まいは‘Home’になりうるのか?

仮設住宅に住んでいる人のなかで情報が共有されることで、心地良く暮らせるようにしたい。

9.28(土)

第4回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

スタディへの思いを共有する

1/5

それぞれの参加者が、スタディに参加したきっかけとどのような映像制作に取り組むかを発表し、ディスカッションを行った。発表を通して、多様な生活世界があるのだと改めて認識する機会となった。また、‘Home’の感覚は何から得ているのかという問いを、アイデンティティと結びつけて掘り下げることが大きなテーマとして浮かび上がり、各自の‘Home’の感覚が少しずつ言語化されていった。

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「住めば都」の真実を知りたい。

深く付き合ってしまったら、離れるときは辛くなる。

シェアハウスにはルールがあるが、家のルールは破っていい。

椅子があればどこでもリビング。

留学先に‘Home’のかけらを置いてきてしまった。

2019.10

10.5(土)

第5回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

人の生活に根ざしたアプローチを学ぶ

1/6

前半はトミトアーキテクチャの冨永美保さんと伊藤孝仁さんのレクチャー。日常を観察し、人やまちとの関係性のなかで建築を構想するプロセスを伺った。冨永さんは、「背景や関係性が反映されるような建築をつくりたい」と語った。後半は、映像制作に向けて「身の回りのものに関連して自分の一日の動きを書き出す」ワークショップに挑戦。調査協力者の生活を垣間見る、相手を理解する手がかりをつかむ方法を身につけた。

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未来をどのくらい設計していくのか?

協働的な作業を通じて、「生活世界」を一緒に見ていくことで、調査対象者自身も知らなかった一面をともに発見していくことができる。

2019.10.15(火)

国際ドキュメンタリー・フェスティバル・アムステルダム(IDFA)

コンペティション部門(ショートドキュメンタリー)に入選

ナビゲーターの大橋香奈が、水野大二郎さんと共同監督した映像作品『Transition』が、国際ドキュメンタリー・フェスティバル・アムステルダム(IDFA)のコンペティション部門(ショートドキュメンタリー)に入選。水野大二郎さんは第6回活動日にゲストとしてお招きし、映像制作の背景やプロセスについてスタディ参加者と共有した。

10.26(土)

第6回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

デザインリサーチのアプローチを学ぶ

1/4

水野大二郎先生をゲストに迎え、デザインリサーチについて学んだ。デザインリサーチとは、デザイナーがユーザーのニーズを適切に把握するため、文化人類学的調査法を用いて人々の生活世界を調査すること。大橋と協働で制作したドキュメンタリー映像作品『Transition』は、水野先生の妻のみえさんが妊娠中に病気と診断されてから丸2年撮影し続けた生活記録をもとにつくられた。映像を鑑賞し、調査協力者との関係性を築くプロセスを学んだ。

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目の前のにある〈あたりまえ〉のものを問い直すという作業は難しい。

人間がネットでオンラインのアイデンティティをつくっている。

自分自身を被験者にするからこそできること。

「すべての問題は解決できる」という考え方から撤退し、複雑な問題をどうこなし、少しずつ前に進めていくことを考えていきたい。

2019.11

11.2(土)

第7回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

デジタル・ストーリーテリングを学ぶ

1/3

前半は大橋による映像エスノグラフィーのレクチャーを行い、目的や視点を整理した。後半は、参加者それぞれが映像制作のアイディアを発表した。大橋は、協働制作の方法を悩んでいる参加者に対し、撮影するにあたって「最初から意味を考えすぎないこと」「編集について考えすぎないこと」を伝えた。撮影を通して意味を発見し、リサーチ方法をアップデートしながら進めていくのが大切だ。いよいよ、参加者それぞれが撮影を開始する。

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2019.11.10(日)

3つのスタディ参加者が集まり、活動を共有する会

「東京プロジェクトスタディ」共有会1

8月からスタディ3も含め3つのスタディが始動し、28名の参加者たちが各々ナビゲーターとともに活動を開始してきた。共有会1では、半年間の折り返しとなるこのタイミングで、参加者が初めて一堂に会した。各スタディの進捗共有や参加者同士の交流を行った。

撮影=齋藤彰英

11.16(土)

第8回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

それぞれのフィールドへ向かう

1/4

参加者のプロジェクトの進捗について個人面談を行った。面談では、「機材の選定」「調査方法」「振り返り」「表現方法」に関する悩みや質問があり、多くの参加者に共通する内容だった。制作したい映像やリサーチのテーマによって適切な機材を選んだり、調査協力者が個人的にできるような調査方法をデザインしたり。また、どのように表現するかを模索している参加者も多かった。

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2019.11.16(土)

番外編フィールドワーク

撮影機材ツアー in 秋葉原

参加者それぞれが映像作品(プロトタイプ)の制作を進めることになったスタディ3。いざ撮影に着手してみると、「音声に雑音が入りすぎる」「話し声がきちんと録れていない」「手ブレがひどい」といった悩みが発生! 撮影にあたって、どのような事前準備や機材が必要なのか。有志メンバーで、電化製品のメッカともいえる秋葉原に繰り出し、マイクやジンバル、三脚といった機材の種類や使い心地を試しながら、自身の映像制作に必要そうな機材を探った。

2019.12

12.7(土)

第9回

場所:アーツカウンシル東京

それぞれのフィールドでの気づきを共有する

1/5

大橋から、国際ドキュメンタリー・フェスティバル・アムステルダム(IDFA)に参加した感想や、上映後に寄せられた問いかけと応答について共有した。 その後、参加者が各自企画を発表し、活発な意見交換を行った。回を重ねるごとに、参加者同士の信頼感が高まっている。一方、リサーチを重ねるにつれ、調査者が抱く悩みも少しずつ増えている。調査協力者との関係性を築くなかで模索しながら、自分自身とも向き合う時期を迎えているようだ。

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ドキュメンタリー映像をつくるときに、対象に出会ったときの感覚がすごく大事。出会ったときに既に始まっているから。

Why so shy? You have cameras. Trust more in cinema and the image as a medium for exploring and understanding the world.

苛つく状態があることは、まだ’Home’として成り立っていないということ。

カメラの存在をちゃんと忘れられている。

12.21(土)

第10回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

個人の「つくる」を互いに支える

1/4

今後のスケジュールと編集方法の確認を行った後、映像制作の個人面談と作業時間を設けた。1月のプロトタイプの上映会に向けて、少しずつ追い込みをかけていく時期だ。作業時間には、参加者同士で映像を見せ合ったり相談したりするほか、お互いに調査し合っている人も。参加者とそれぞれの調査協力者との間でだけではなく、このスタディのなかでも協働関係が生まれている。

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客観的な視点を失ってしまうとおもしろくなくなる。

音が消えることによって、観ている人の集中力が切断される。

編集を始める前に、映像の根幹となるストーリーを見つけていくことも重要だけど、まずはデータのバックアップをしないとストーリーそのものを失ってしまう。

カット→シーン→シークエンス

1.11(土)

第11回

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

映像作品(プロトタイプ)をみんなで観る・振り返る

1/5

11人の参加者が制作した映像作品のプロトタイプを上映し、ディスカッションを行った。調査協力者らを招いて開催する予定の上映会に向けて、これまでの過程を振り返り、映像作品の質をさらに磨き上げていくための時間となった。参加者それぞれに新たな発見があり、伝えたいストーリーや表現方法、協働関係など、課題も見えてきた。

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東京はまだ‘Home’だと思えない私がいる。

撮影のために、隣人と仲良くなったわけではない。(笑)

素材を見返したときに、撮影時に見えなかった景色がたくさん見えてきた。編集のプロセスでこの家との関係性、歴史を振り返る機会になった。

1.19(日)

共有会2

場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)

多様な世代、背景の参加者がいる学びの場

1/4

スタディ3チームが一堂に会し、「共有会」を行った。スタディ3の発表では、毎回の活動日で実施していた「チェックイン」を行い、「このスタディに参加していなかったら、やらなかったであろうこと」というお題に、全員が答えていった。大橋はスタディについて、「多様な世代、背景の参加者が集まり、半年間かけて同じテーマに取り組み、同じ立場で学ぶ貴重でおもしろい『ラボラトリーワーク』の場になっていたのでは」と語った。

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その後の活動

2020.3

3.31(火)

「‘Home’ in Tokyoー確かさと不確かさの間で生き抜く」成果物が完成!

1/1

「スタディ3|‘Home’ in Tokyoー確かさと不確かさの間で生き抜く」の歩みの記録と各作品の内容をまとめた成果物が完成! 参加者それぞれが‘Home’についてどのように向き合い、思考し、調査協力者との関係を築いていったのか、ぜひご覧ください。

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スタディ3
大橋香奈(映像エスノグラファー)とともに、
自分や他者にとっての‘Home’のありようを理解するための態度や方法を学び、
映像作品(プロトタイプ)をつくります。

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